理解するとは、枠がありきで初めて成り立つ。

物事を理解するってことは、

結構、当たり前に使われる言葉ではありますが、

それを、そもそも論として語り出すと、

深い考察が必要になる概念ではありますね・・・・・。

要するに、

理解するって言葉には、

言われたことを、額面通りに暗記するって意味合いも存在するでしょうし、

また、

物事を、構造的に、理解するとも言えるものでもあるでしょうし、

実際のところ、

自分自身の、血肉となるような理解ってものを、

考察すると、

自分自身で、経験したことしか、

理解出来ないとも、言えるものではありますね・・・・・。

だけど、

我々人間は、

言葉によって、自分自身が、考えていることや、

人の考えを理解することによって、

それを踏まえた結論を、導き出すことが、可能なものではありますが、

それって言うのは、

多いに、幻想の部分でもあり、

実際に、実行する上での、

無駄な部分もありつつも、

その、幻想の部分のお陰様で、

精神的に、優位性を持ったり、

権威性を持ち合わせることで、

その結論でもある、

行動計画を、淀みなく進ませる助けともなるでしょうし、

またまた、

方向性の舵取りも、出来てしまうものでもあることでしょう・・・・・!!

だけど、だからと言っても、

自分自身の、立ち位置でもあり、

所謂、ってものが存在しない状態では、

その理解ってものは、

あくまでも、

思いつきの域を、出ないものでもあることでしょう・・・・・。

要するに、

「やって見なけりゃ解らない。」状態であるとも言えます。

が、

枠でもあり、自分自身の立ち位置でもあり、

専門性とも言えるものを、

踏まえた上での理解ってものは、

少なくとも、

その枠の中では、

価値足り得るものでもあることでしょうから、

最悪の意味での、

全くの無駄な行動をしてしまうストレスでもあり、

恐れ自体を、軽減する役割も、果たすものでもあるのです・・・・・!!

まぁ、だけど、

それって言うのは、

俯瞰した視点から見れば、

色眼鏡を付けて、物を見るとは言えるものではあることでしょう・・・・・。

が、

実際問題、

なんの取っ掛かりも無いような、

色眼鏡が全く無い状態ってものは、

赤ん坊の状態と、なんら変わりがないでしょうし、

またまた、

自分自身で、色眼鏡を外した状態だと、

思い込んでいるに過ぎなくて、

実際には、

後付けなのか?もしくは、

ただ単に、盲点になっているのか?は、

いざ知らず、

色眼鏡って定義出来る概念は、必ず出てくるって認識も、

必要となることでしょう・・・・・!!

要するに、

我々は、どこまで行っても、

ある意味、

無知な領域が存在することでしょうし、

その、無知が故に、

新たな色眼鏡を、かけることが可能であると同時に、

元々持ち合わせている、

色眼鏡が、存在するが故に、

あなた以外の誰かでは、

気付くこと、いや、

創造することが、出来なかったとも言えるような、

色眼鏡を持って、

理解度を高めることを、推し進めて行けるものでもあるのです・・・・・!!

また、

物事を理解するってことは、

「本質を知る。」とは、

言葉にはされるものでしょうが、

僕自身の見解としては、

本質ってものは、

基本的には、見えないものであるという認識が、

必要となる概念でもあります。

本質ってものは、

答えってものと、同義なものでもありますから、

答えは、自分自身の内に、存在するものでもありますし、

また、

適切に、表現するとするならば、

「本質に近づく。」って表現が、

望ましいものではあることでしょう・・・・・!!

だけど、

どのような分野でも、当てはまるような事柄に、

本質に近づけば、その概念は、

同じような形態になってくるってことは、

確かに存在することでしょう。

が、その為の、

道筋でもあり、枠組みってもの自体も、

無数に存在するって見解でもありますね。

それらを踏まえて、

今回は、

理解するとは、枠がありきで初めて成り立つ。

ってテーマに沿って、アレコレ考察して行きましょう!!

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枠って一体、なんぞや??

っていうのは、

自分の立ち位置って言っても過言じゃあ無いですね。

要するに、

何かを学んだり、誰かとコミュニケーションを取る時、

自分の立ち位置から話を聴いたり、

話をする事っていうのは大事な事であります。

よく言われるのは、

これとは反対に、

人の話を受け入れることが、大事だとは、

よく言われることではありますね・・・・・・・。

が、

それって言うのは、

結局は、

人とのコミュニケーションでさえも、

勉強のごとく、

人の出した問題の答えを、

推測や、忖度をして、導き出すことと、

なんら変わりがありません

要するに、

おべっかや、太鼓持ちの役割を担うってことでもあるのです。

それよりも、

より、本質に近づくってことを、

考慮に入れて見ますと、

やはり、枠=自分の立ち位置ってものを、

先に、決定しておく方が、

何かと、建設的なコミュニケーションに、

構造的にも、なりやすいってことでもあるのです・・・・・!!

まぁ、こう言うと、

ロボット的な、仕事的に、見てしまう人も、

存在するようですが・・・・(苦笑)、

そこには、別に、

変な気苦労は必要無く

構造的に、省エネとなって、

楽しむ場合でも、効率的になるってことでもあります・・・・(^^)

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枠を定義出来るから、無知の領域を、さらけ出すことも出来る。

枠=自分の立ち位置っていうものを決めるって事は、

自分が解らない、

もしくは、

判断しかねる領域を創り出す事でもあります

多くの人は、

この、

解らないって事や、判断しかねる領域を、

不必要に恐れているものです。

要するに、

解らないってことによる、

自分自身との、共通事項の少なさに、

恐怖を感じるってことでもありますが、

別に、

解らないなら、解らないでいいじゃあ無いですか(笑)

ハッキリ言って、

自分自身の枠を、先出しで、

定義した上で、それとは、全くの関連性を見出せないような、

枠ばかりを、提示するような人は、

こちらに全く興味が無いか、

もしくは、

そもそもとして、

趣味趣向が合わない人であると言う認識も、必要です

そのような人に、

時間をさくよりも、

自分自身が定義した枠と、

重なり合う部分が、多少でもある人と関わることに、

時間をさく方が、

何かと、充実した時間を、過ごせることでしょう・・・・・(^^)

また、

上記の、恐れの感情を、

見ないふりする=誤魔化すことで、

執着が生まれてしまうっていう、

構造的理解ってものも、何かと必要となることでしょう・・・・。

この執着が、

自分の望まない未来に、

自分自身の『フォーカス』を奪われてしまう原因ともなっているって理解ですね。

だから、

先に、自分自身で、枠組みを定義してしまい、

解らない事や、判断しかねる領域の事っていうのは、

優先順位的に、

除外しておけばいいってことでもありますね。

それよりも、

枠=自分の立ち位置から理解出来る問題や、

もしくは、

自分が興味が湧く問題に集中する事が大事になってきます。

潜在意識や、引き寄せの法則の概念で言うと、

自分にとって、真の意味で、

必要な問題っていうものは、

必ず、答えが出るって言いますし、

これを、もっと、

単純明快に言うと、

自分自身が好きなことって言うのは、

必ず、答えを導き出せるとも言えます。

これは、

要するに、

『自分軸』に関連した問題は、

必ず、自分にとっての答えが出るって言えますが、

実際は、

必ず、自分にとっての答えを、自分自身で導き出すって表現が、

望ましいものでもあることでしょう・・・・・!!

多くの人が、

答えが出ない問題に因われて、

変に、

欲求不満状態にいるって事も、

要は、

その問題自体が、

『自分軸』という枠では無く、『他人軸』という枠組みの問題であるとも言えます。

まぁ、

それは結局は、

自分自身で、

その状態で在りたいが為に、

『自分軸』じゃあ無く、『他人軸』中心の問題を選択しているとも言えますし、

また、

それぞれの、経験でもあり、突き詰めて行けば、

趣味趣向の問題であるとも言えます。

だからこそ、

自分自身の枠に、カスリもしない人が存在している事実にも、

納得出来るし、また、

変な形で、巻き込まれないように、距離感を保てるってことでもあります。

また、そのような、

趣味趣向の色合いが、より強い情報ほど、

巻き込まれやすい側面もあるので、

注意が必要であると同時に、

避けれない時は、

それを踏まえて、

自分自身の枠を、定義する必要性もあるってことですね・・・・・。

苦労を見せつけることは、価値では無い。

『頑張る』って事に価値があるって思っちゃっている方や、

他人の顔色を伺う事に価値を置いている方も、

注意が必要であると言えますね〜。

それって言うのは、

ある意味、

後付け的に、価値の承認を、引き出す為には、

必要となる場面も、存在することでしょうが、

ハッキリ言って、

その前に、成果を上げたり、

仕事の役割を持って、

自分自身の、充実した姿ってものを、

見せつけておくことが、大事になることでしょう・・・・・。

まぁ、ある意味、

演技や、独り相撲的なものではありますが・・・・(笑)、

好きなことでこそ、可能なやり方ではあることでしょう・・・・・!!

いい価値の循環を起こす、

ビジネスマインドを持っていると、

タダ、

『頑張る』事や、

他人の顔色を伺う事には、

あまり価値なんて無いって事が、

だんだんと解ってくることでしょう。

何故ならば、

苦労を見せつける意味での、

頑張るってことは、

段々と、自分達のエネルギーロスにも繋がって行き、

どんどん、なんとは無しの技術やスキルに、

不要なストレスが、乗っかってきてしまうのです・・・・・・!!

他人の顔色を伺う事=他人の評価を得る事じゃあ無いでしょう。

そもそもとして、

キチンと、

他人の評価を得る為には、

価値を創発した上での、承認が必要ですし、

その為には、

まず、自分を満たすっていう、

自分軸を、持ち合わせている方が、

何かと、心強いものでもありますね・・・・・(^^)

その上で、苦労をアピールすること自体は、

価値創発を、行った強みがあるだけに、

有効的な手段ではあることでしょう・・・・・(笑)。

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知識としての理解と、知恵としての理解の違い。

理解するって事には、

知識として理解するって事があるし、

経験を伴って、腑に落ちるって事があります。

これは、

経験を伴って、腑に落ちるって事が、

真の理解だと言えますし、

それでこそ、

在り方として、人に伝わるものが出てくるものでもありますね。

また、

知識だけの理解の段階だと、

人に教える場合であったり、

またまた、

単純に、伝える場合であったとしても、

ただの、メッセンジャー的な役割を担うことにもなるでしょう・・・・・。

要するに、

情報の概要は、伝えましたので、

後は、よろしくって感じではありますよね〜・・・・・(苦笑)。

ま、ある意味、

仕事で言うところの、

報連相に、当てはまってくるものでしょうが、

その役割自体は、

別に、理解度ってものが、

そこまで、高くなくても、担うことは可能でしょうし、

そのスキルを高めることは、

まぁ、省エネにして行くくらいではあるでしょうね・・・・・(^^;)

ま、

ある意味、

腑に落ちた知恵となった情報ってものは、

人にも、深い理解を、伝発することが可能ではありますが、

それだけ、

伝える人を、選ぶ情報であるとも言えます。

要するに、

知識だけの情報の方が、

浅く広い人達に、リーチ出来るが故に、

その影響力自体は、大したことが無いことを、さし表しますが、

知恵となった情報の方は、

人を選ぶが故に、

その知恵の再現力ってものをも、宿ってくるものでもあるのです・・・・・・!!

が、

その人を選ぶって意味合いは、

その人の在り方と言う風な、

経験値や、趣味趣向によって、決定してくる事実もあります

要するに、

選ぶとは言っても、

これまた、俯瞰した視点でもあり、

突き詰めて行けば、相性の問題とも言えるものでもありますから、

端から、対象外になるような人が、

存在すること自体も、

仕方がないことだとは言えますね〜・・・・・。

まぁ、その相手が、

その知恵を、自分用に、

カスタマイズ出来るスキルを、持ち合わせていれば、

問題は無いことでしょうが、

知恵を伝える側としては、

そこまでは、考慮出来ないでしょうし、

そこまで考慮すると、

再現性を持てる保証は、何処にも無くなってくるものでもありますから・・・・・(^^;)

そもそもとして、知恵の種が無い問題は、存在しない。

そもそもとして、

自分自身の現実に表面化してくる問題ってものは、

知恵の種が無い問題は、

存在しないって認識も、持ち合わせていた方が良いでしょう。

が、

これまた、必要となる認識の一つに、

問題は、その問題と同じパラダイムからだと、決して、解決出来ないって認識も、

必要となります。

要するに、

問題が、問題じゃあなくなる見識ってものが、

問題を解決する為には、必要となると言うことです。

また、

新しい問題に取り掛かる人っていうのは、

最初は、全員、

知識しかもっていない状態でもあります。

で、

経験の豊富な人や、

問題解決能力が、高い人って言うのが、

その分野や、枠組みによっては、

ある意味、

客観的な視点で見れば、存在していることでしょうが、

そのような人って言うのは、

たまたま、

その分野や、枠組みが、得意と呼べる程にまでは、

スキルや技術自体が、高い人でもありますが、

別に、そのような人から見る現実が、

なんの問題も存在しないってことじゃあ無いでしょうし、

そのような人には、そのような人特有の、

問題ってものを、同じように持ち合わせているものでもあります。

また、

だからこそ、

自分自身の現実に、表面化してきた問題ってものに、

前向きに取り組むことが、可能だと言うことでもありますし、

その多様性の可能性が、

自分の経験を棚卸しして、

すでに持ち合わせている知恵ってもの自体にも、

それを必要とし、再現可能な人達が、存在する可能性が、

決して0じゃあ無いって希望をもたらしますし、

また、

そのまま使えないような知恵にも、

他の枠組みでもあり、分野に応用することで、

自分のスキルや技術を、

必要とする市場と、マッチングをはかれるものでもあるのです・・・・・・!!

だからと言っても、知恵だけが大事なのでは無い。

上記で、散々、

知恵の良さを語ってはきましたが、

だからと言っても、知恵だけが大事なのではありません

知恵が働く分野や、枠組みってものは、

基本的には、

自分自身の、コンフォートゾーンでもありますし、

自分の『コンフォートゾーン』内にだけしか拘らない人っていうのは、

想定外に極端に弱くなってしまいます

だからこそ、

知識として理解している状態と、

経験を伴って、腑に落ちる状態の、

丁度真ん中の『在り方』を維持する事が大事になると言うことですし、

それは、

新たな市場を開拓し続けることにも、なっていくことでしょう・・・・・!!

この『在り方』は、

主体的に、

より良い未来に進んで行く為には、必要不可欠ですし、

知識だけ先行すると、

言葉の重みが無い、

薄っぺらい人になっちゃうし、

経験だけ先行すると、

重みはあるんだけど、

常に大上段に構えた、取っ付きづらい人になっちゃいますし、

下手すると、身内ネタばかりを披露しながらも、

自分自身では気付くことが出来ないような、

イタイ人にも、なり兼ねないものでしょう・・・・・・(^^;)

※まぁ、裸の王様状態ですね・・・・・。

要するに、

そのバランスが大事だし、

知識と知恵の両方ともが、

シチュエーションによっては、

必要になってくるものでもあります。

先ほど言いました、

自分の解らない事や、判断しかねる領域っていうのは、

知識だけ先行する必要性がありますし、

その逆もまた、しかりではあります。

別に、知識だけが先行している状態であっても、

自分自身で理解出来ていれば、何の問題も無いってことです。

むしろ、

この『在り方』自体が、

自分自身の進むべきニーズを創造してくれるものでもあります。

知識だけが先行しているなぁ~って思ったら、

自分が出来る範囲で、

行動によって、自分自身の知恵と、関連させていけばいいし、

逆の場合ですと、

自分の経験から、関連する事柄の、知識を蓄えていけばいいってことです。

知識と知恵が、入り混じった状態は、

実践の行動のサイクルであり、

情報収集の為の、行動のサイクルが、

自分にとって、

『丁度いい』って事でもあります。

要するに、

実践=アウトプット、情報収集=インプットのサイクルが、

丁度いいバランスだと言うことです。

だから、

楽しんでしていく事が出来ますし、

どちらかに偏ってくると、

自分で修正する意識も働いてきます。

目の前の、やるべき事っていうのは、

本当に、

人それぞれですが、

抽象度を高めて、

概念を抽出して考えると、

シンプルに説明する事が出来ることでしょう。

その上で、

枠=自分の立ち位置から理解出来る問題や、

自分の興味が湧く問題を中心に据える事が、

大事になってくると言うことです。

解らない事や、判断しかねる事は、

変に苦労を背負いこま無いで、

とりあえずは、

『解らない』でいいのです。

不思議な事に、

その枠を中心に据えていると、

自然と関連してきた事は、

だんだんと、

自分自身の知恵と関連していき、理解出来るようになってきますから。

そ~ゆ~体験が続いてくると、

『自分軸』に拘るって事が、

人にとっての『自分軸』の為にもなる事が解るでしょうし、

たとえ、

枠によって分断されていたとしても、

抽象度レベルが高い、

より本質に近づいた領域では、

世界と自分は繋がっているっていう実感が湧いてくるものでもありますね・・・・(^^)

まとめとして。

いかがでしたか??

枠=自分の立ち位置が無いと、

問題に対する当事者意識が極端なものになってしまいます。

自分自身にとって、

実は、全く不要なものまで抱え込んでしまいますし、

また、

コピーをする事でしか、

理解する事が出来なくなってしまいます

全く不要なものって言うのは、

これまた、実は、

分離することで、解決可能な問題でもありますし、

人が抱えている問題は、

分離することによって、

当人に、当事者意識を持たせることが、可能になりますし、

さすがに、当事者意識が無い人を、

助けることは、自己犠牲以外の、何者でも無いかと・・・・・(^^;)

まぁ、自己満足とは言えますが・・・・(苦笑)。

また、

理解するって事、

もしくは、

理解を深めるってことは、

ある意味、

その対象と、融合する事でもあることでしょう。

融合する事で、

進化して、

新たな付加価値と新鮮味が生まれるのですが、

その為には、

枠を想定した上で、

一旦、分離した末に、融合する流れにはなることでしょう・・・・・!!

その根源になるのが、

自分の経験によって、腑に落ちた知恵からとなるってことですね・・・・(^^)

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