あえて、コアに拘る。

コアとか、本質っていうと、

ある意味、

「それを知っていれば、全てが上手く行く。」

って意味合いを持った概念でもあり、

また、

それが故に、

盲目的に信じてしまうこと=騙されることや、詐欺にあうことと、

同義の意味合いも持つ、概念ではありますね・・・・・・・。

だからこそ、

言うのではありますが、

本質ってもの自体は、

はっきり言って、

言語化する=それは本質では無いって理解も、

必要となってくる概念でもありますし、

またまた、

本質=神の理り=絶対正義と言ったような、

関係性も、成り立ってくる概念でもあることでしょう・・・・・!!

まぁ、だからと言っても、

ただ単に、

本質=胡散臭いって見方をすること自体も、

物事の理解を、浅いものにしてしまうような、

一種の、執着にもなってくることでしょう。

だからこそ、

本質とか、コアってものは、

見えないことが、前提であるが上で、

本質論として、

物事を、深堀して行くこと自体には、

計り知れない価値ってものが、

存在するものでもあるのでしょうね・・・・・!!

また、

本質自体が、見えない前提であるからこそ、

物事を、深堀して行ったり、

展開して行くことによって、

その全体像ってものが、大きなものに、なって行くものでもあるますよね〜・・・・(^^)

また、それらの全体像=ゲシュタルトってものは、

同じようなシチュエーションや、

同じような概念に、当てはまる事柄に、

流用でもあり、再現可能になるって理解も必要です。

何故ならば、

本質ってものは、見えない前提であると同時に、

どんなことにも当てはまるような、

一種の、普遍性をも、持ち合わせているからと言う、

理解でもあります。

だからこそ、

それぞれの人や、分野によって、

その道筋自体は、様々であるにも関わらずに、

抽象度の高い見識では、

似たような見解に、段々と、落ち着いてくる側面も、

持ち合わせているのです・・・・・!!

まぁ、

それって言うのは、

結局は、実際に行うのは、

同じ人間であるからであると言う風な、

理解も必要になることでしょうが・・・・・・。

それらを踏まえて、

今回は、

あえて、コアに拘る。

ってテーマに沿って、アレコレ考察して行きましょう!!

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所謂、普通ってことは、枝葉末端にフォーカスが当たっている状態である。

世の中の、

一般的な仕事や、

大抵の雑務っていうのは、

そのほとんどが、

枝葉末端に『フォーカス』が当たっているものでもあります。

また、

目先のやる事や、

目先の仕事がそうであるため、

その枝葉末端に拘る事=いい仕事っていう認識が、

いわゆる、

普通の考え方であると言えます。

でも、

その枝葉末端の部分っていうのは、

勿論、

環境的な、強迫観念や、

上司や同僚の、監視によって、

囚われがちになる部分ではありますが、

その枝葉末端を頑張ること自体が、

本当に、

仕事や成果と直結している部分なのでしょうか?

僕の考え的には、

ただ単に、

行動と直結しているが為に、

マインドが因われているに過ぎないって思うのです。

マインドっていうものは、

発する言葉からも、

影響を受けるものではありますが、

それよりも、

自分自身の行動の方が、

より影響を受けるものなのです。

まぁ、

言葉も、マインドも、行動も、

全てが、自分自身の一部ではあるのですが、

言葉だけのアプローチよりも、

行動だけのアプローチの方が、

自分自身に影響力を、及ぼすものでもあります。

まぁ、

言葉だけとか、行動だけとか、

あまり、分けて考えることでは無いことでしょうが・・・・(苦笑)。

基本的には、

影響力が大きい、もしくは、

抽象度が高いのは、行動だと、

理解しておいていいでしょうね・・・・・(^^)

行動の意味付けってものは、自分自身の言葉で定義する。

影響力が大きい、もしくは、

抽象度が高いのは、

言葉よりも、行動の方になるですが、

その行動自体に、自分自身の言葉で、

意味付けするってことが、

本質論を、構築する上で、

非常に大事になってくるのです。

これは、

慣れていない人にとっては、

意外と難しく感じるかもしれません。

別の言い方に言い換えると、

思考の抽象度を高める訓練が必要不可欠になってくるってことでもあります。

思考の抽象度を高めるって事は、

自分自身の捉え方の幅を広げる事でもありますし、

行動自体に、意味付けをするとは言っても、

目先のことしか、

見えていない状態で、

行動に意味付けすることには、

一種の勇気も必要となるでしょう・・・・・。

厳密に言えば、

具体的過ぎる意味付けってものは、

執着を産むことにもなり、

逆に、

行動の先の可能性を、狭めてしまう可能性も、

孕んでいるのですが・・・・・・、

まぁ、

その時点での意味付け自体に、

そこまで、拘る必要性は無いとも言えますし、

また、

その時点での意味付けは、

裏返ったり、能書きと見られることが、

前提だと言うのが、

健全的な見方ではあることでしょう・・・・・。

だがしかし!!

だからこそ、

その時点で、具体的では無く、

明確な意味付けが出来ていること自体が、

何かと強みになりうるでしょうし、

また、

その後の展開に備えて、

自分自身の経験の棚卸しを、適切に行える、

いや、もっと言えば、

先取りして、準備しておけるような、

利点を、持ち合わせることも、

可能となるのです・・・・・!!

思考ってものは、体感覚とも繋がっている。

思考っていうのは、

自分自身の体感とも繋がっています。

要するに、

突き詰めて言いますと、

行動による、

不快や、快楽の体感ってものは、

思考とも繋がっているものでしょう・・・・・。

だからこそ、

思考の抽象度を高める訓練をし、

具体的⇔抽象的の行き来を、

自覚的に出来るようになると、

自分自身が感じている、臨場感ってものの、

コントロールが可能になるってことです。

まぁ、実際には、

臨場感の抽象度を、高くしていけるというニュアンスでしょうか。

だからこそ、

その臨場感ってもの自体は、

決して、

無くなったりはしないことでしょうが、

臨場感が有り過ぎて、

行動にブロックがかかって、

思い切った行動が出来ない状態を、

解除することも、可能になりますし、

また、

何でも出来るっていうのは、

ちょっと言い過ぎかもしれませんが、

少なくとも、

自分が得意な事や、

自分が興味のある事は、

後ろめたさや、引け目を感じる事なく、

楽しんで出来るようになるってことです。

また、

だからと言っても、

その臨場感ってものは、大切なものでもあります。

一見、無くなってしまった方が、

行動がしやすいようにも、見えないことも無いことでしょうが、

臨場感を感じるってことは、

その方向性自体は、

本質に近く道であると言う、

唯一無二の証明にもなりえますし、

その臨場感の方向に、行動すればする程、

より顕著に、

臨場感を、味わい尽くすことが、可能になることでしょう・・・・・!!

まぁ、あまりにも、

臨場感過多だと、逆に、

何も出来ないでしょうし(苦笑)、

まぁ、それも正解でしょうし、

無理矢理行動することによって、

何かが壊れたり、関係性が壊れたりする可能性もあるので、

無理の無い範囲で、

出来ることを、楽しみましょうってことですね・・・・・(^^)

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未来には、無限の可能性がある。

「未来には、無限の可能性がある。」

って言葉を耳にした事があると思いますが、

まぁ、

小さな子供になら、そのまま、

額面通りでも、通用しそうな言葉ではあるのですが・・・・(苦笑)、

多くの大人が、よくご存知の通り、

言葉通りの無限の可能性ってものは、

存在しないことでしょう・・・・・!!

ただし、

その無限の可能性ってものを、

主観的に感じ取る事は、可能ではあります。

勿論、

その人その人の辿ってきた道のりや、

得意な事や、興味がある事ってのは、

本当に、

人それぞれではあります。

が、

そのような、

『自分軸』の大元を活かした未来ってものは、

選択肢的に言うと、

無限の広がりでもあり、無限て認識してしまえる程、

展開する可能性もあると言うことです。

「未来には、無限の可能性がある。」

って言葉は、

要するに、

プラスもマイナスも含めた、無限の可能性があるって事なんですね。

だけど、

その無限の可能性ってものは、

ある意味、

自分自身の肉体さえも、無視した可能性であるという、

理解も必要となってくることでしょう・・・・・!!

ま、

超客観視点でもあり、

俯瞰の視点でもあるのですが、

その視点は、その視点にマッチする誰かにとっては、

役に立つ側面は、あるかもしれませんが、

まぁ、

それは本質じゃあありませんし、

上手く行く保証や、役に立つ保証でさえも、

責任は持てないでしょうね・・・・・(^^;)

ま、それだけ、

自分自身の肉体ってものは、

この世での、責任問題に、大きく関わってくると、

言うことでもありますね・・・・・。

要するに、

我々、ある程度の経験を積んだ、

大人から言わすと、

そんな無限は必要無いって言えますね・・・・(笑)。

可能性は無限かもしれませんが、

有意義な現実を構築して行く為には、

自分自身の責任を把握して、

それを対価とすること自体が、

必要となってくることでしょうし、

それでこそ、

自分にとっても、人にとっても、

価値足り得ると言えることでしょうから・・・・!!

まぁ、

その主観が、人と自分が、

全く同じ必要性は、何処にも無いことでしょうが・・・・・(笑)。

好きなこと=やりたいことでは無い。

好きなことをするってこと自体が、

上手く行く方法論だとも、

捉えられガチでもありますが、

好きなこと=やりたいことでは無いって認識も、

必要となってくることでしょう・・・・・。

やりたいことって言うのは、

基本的に、

まだ、やったことが無いことに、

分類されることでしょうが、

好きなことって言うのは、

基本的に、

すでに、過去の経験の中に、

存在することでしょう・・・・・!!

要するに、

自分の趣向ってものを、

深く理解し、追求し続けると、

もう、

第6感的に、

ガンダムのニュータイプ的に、

自分のやる事を、

どうやったら、

楽しく、快適にこなす事が出来るかが、

なんか、

解ってくると言うことですし、

それこそが、

好きなことだと言うことなのです。

簡単に言うと、

快の感情に従うって事でもありますし、

臨場感の方向に、行動するってことでもあります。

でも、

マインドで、

余計なバイアスがかかっている時も、

人っていうのは、

快楽や、不快を感じるものではあります。

だから、

思考の抽象度を高める事によって、

余計なバイアスを解除する効果もありますね。

もっと言えば、

快の感情を拾いとることによって、

それを行動に移せる範囲で移すことにより、

本質に近く未来に向かって、進んで行くと言うことなのです。

余計なバイアスがかかっている場合ですと、

それは、

ある意味、

自分自身の無知を知る=肉体の限界を知る為の、

行動となって行くことでしょう・・・・・・。

まぁ、

無知を知ることで、

責任の範囲が明確になり、

地に足が着くとは言えますが・・・・(苦笑)。

自分の責任の範囲が明確になり、

自分の趣向を知ることが、

自分自身の行動指針となり、

行動に主体性を持たせ、

遠慮することなく、

いや、無意識の遠慮さえすることなく、

人を巻き込んで行けるってことですね・・・・!!

要するに、

もう、ある意味、

誰に憚ることなく、

リーダーシップを発揮出来ると言うことではありますが、

その、リーダーシップの範囲は、

自分自身の責任の範囲でもあるので、

そんなに気負うことすら無いことでしょうし、

また、

そりゃ、好きなことしていれば、

責任なんて、勝手に背負うよね〜ってことでもありますね・・・・・(笑)。

意味も解らずに、受け取る快の感情といふもの。

未来に繋がる快の感情ってものは、

ある意味、

もう、

意味も解らずに、快の感情を受け取るものでもありますね・・・・・。

これは、ある意味、

意味や、思考ってものは、

結局は、

後付けに過ぎないってことでもありますし、

また、

今現時点では、見えていないだけでもあり、

その方向には、必ず、何かしらの、

現実を展開する為の、接点が存在するって認識も、

必要となってくることでしょう・・・・・!!

また、

意味付けってものは、

人が、

行動によって得た、

感情の動きに沿って、出来上がるものでもあり、

それを、自分自身の言葉に変換するからこそ、

思考や、マインドってものが出来上がるってことでもありますね・・・・・。

だから、

行動を起こす前のマインドってものは、

あくまでも仮説に過ぎないですし、

具体的過ぎても、

無駄でしか無いでしょうから、

抽象度を高めて、明確にしておけば良いのです。

その仮説を、

行動によって、

証明していくとも言えますし、

その仮説を、

行動によって、0にして行くとも言えます。

ただし、

ここで注意が必要となるのは、

仮説と言っても、

自分自身の趣向を踏まえた仮説ってものは、

ある意味、

直観と言えるほど、

精度が高まるので、

自分自身で無視しないように、気を付ける必要性もあるのです・・・・・!!

勿論、それさえも、

決して、本質そのものと呼べるほどのものでは無いことでしょうが、

何処から関連して行くのかさえも、

行動に移すまでは、検討もつかないことでしょうが、

何処かから必ず、その先の、

快の感情に繋がる理解でもあり、行動に、

関連して行く保証が、

そこには存在することでしょう・・・・・・!!

理屈から入った仮説は、

もっともらしくは聞こえるけど、

あまり価値はありません。

何故ならば、

どれだけ、屁理屈を並べても、

人っていうのは、

結局の所、

体感であり、感情に沿って、

動いて行く方が、幸福感があるってことですし、

まぁ、

動物の一種だと言うことですね・・・・・(笑)。

要するに、

屁理屈は、行動した後で必要だし、

それが人間の証明にもなりうることでしょう・・・・・(笑)。

理屈が先行した、

行動計画ってものは、

カスタマイズ出来ないと、

楽しく続けて行く事が出来ないってことでもあります。

その理屈が、

目先の成果に直結していれば、

続けていけるって話を、よく聞きますが、

なんか遠回りしている時間に感じることも、

無きにしも非ずでしょうし、

まぁ、

何かしらの趣向を、必ず、反映させるのが、

ともなることでしょう・・・・・(笑)。

だからこそ、

その理屈による、

目先の成果が出なくなると、

あっさりと、やめていってしまうものではあります。

要するに、

自分自身の趣向を知る事が、

何よりも、先決になることでしょうね・・・・・。

そして、

在る意味、

自分自身の舵取りをする意識も必要ですね。

趣向を知り、

その趣向に沿って、

マインドを展開し、

『自分の軸理論』を組み立てる事が大事です。

在る意味、

無限の可能性は持てませんが、

無限の対応力を持つ事は可能です。

その為には、

『自分の軸理論』を組み立てる力、

展開して、まとめる力ってものが、

大事になってきます。

必要に応じて、

自分の理想や、自分の趣向を、

形に出来る事が大事ですね。

場合によっちゃあ、

やりたくない事は、

逃げる事も、一つの選択肢ではありますね(笑)。

ただし、

逃げるからには、

避けるからには、

自分の理想や、趣向に沿った、

第3案を形にする事大事です。

それが、

結果的に、本質に近づいていく術でもあり、

本質論を語る上では、

大事になって行くことでしょう・・・・・!!

ま、

自分自身の、快の感情が絡んでいない、

本質論なんて、ゴミだろうし、

また、

理論が無ければ、ただの動物(ケモノ)だと言うことですね・・・・(^^)

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まとめとして。

いかがでしたか??

結局は、

自分の理想や、自分の趣向に絡んだ事からは、

本質に近く為には、

逃げてはいけないんですね。

また、本質から遠ざかるってことは、

この世の地獄を創造する行為だと、

認識しておいて間違いは無いことでしょう・・・・!!

まぁ、

自分自身の趣向を、全く考慮しなければ、

そりゃあ地獄でしょうが。

何時でも、

自分の理想や、自分の趣向を絡めて、

展開して行くことで、

理屈を、再構築する事や、まとめる事が大事にはなるってことですね・・・・(^^)

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