生きてるだけで丸儲けで、愛と調和は体現出来る!?

二宮尊徳(金次郎)の名言に、

「生きてるだけで丸儲け。」って言葉がありますね。

まぁ、明石家さんまさんの、

座右の銘でも、有名な言葉ですよね〜(笑)。

この、

「生きてるだけで丸儲け。」って言葉には、

ありのままって概念や、

愛や調和って概念も、関連して来るものでもあるでしょう。

それを踏まえて、今回は、

需要があるのか?無いのか?いまいちよく解りませんが(苦笑)

生きてるだけで丸儲けで、愛と調和は体現出来る!?

ってテーマに沿って、考察して行きましょう!!

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愛があり、調和出来れば、価値がある!!

これは、あくまでも、僕自身の見解なんですが、

愛とか調和とかは、実は、

あまり、声を大にして言う事じゃあないのです

調和くらいなら、声を大にしてもいいとは思うんですが。

何故ならば、

現状の資本主義社会っていう前提がある限り、

愛とか、調和とか、言葉にしても、

なにかしらの条件付けに聞こえてしまうんですね。

まぁ、もっと言えば、

利用価値的な、愛とか、調和のイメージが、

つきまとうということです。

また、

この愛とか調和っていうのは、

かいつまんで言うと、

人との一体感を得る為

要するに、

『分離不安』を解消する為の、

人から承認されたい、認められたいっていう願望から来ている言葉でもあるでしょう。

まぁ、

こんなことを、一々、声を大にしないでも、

人間ですから、

愛とか調和を求めるのは、すごく自然な欲求です

でもね、

人に条件を付けないで、依存関係にならないで、

愛とか調和っていう状態を、達成するには、

まず、

自分自身には、そのままで価値があるっていう事実を、

腑に落とす必要性があります。

要するに、

自分自身の『ありのまま』の姿に、安心する事が出来て、

初めて、

人に条件付けする事なく、

無償の愛を提供することも出来、

人との共存関係で、調和出来るものでしょう。

これは、ただ単に、

『愛』や『調和』を、大義名分にするのとは、

また、

別次元の話なのです。

昔から、僕自身は、

感受性が強い部分があったので、

愛の概念はともかく、『調和』っていう概念には、

それなりに、理解が深いです

ただ単に、

『調和する』って言っても、

人の考えや、思念に、同調して、

在る意味、

自分自身を押し殺して生きるのも、一種の『調和』と呼べるものでしょう。

まぁ、その同調する相手が、

自分自身の『ありのまま』の姿と、

比較的、近い考え方の人であれば、

そこまで問題にはならないのかもしれません。

が、

自分の趣向と、正反対の趣向の人に同調してしまうっていうのは、

『自己矛盾』が起こってしまい、

「生きてるだけで丸儲け」と正反対の、

「はやく誰か殺してくれ」っていう気持ちが湧き起こる危険性もあるのです。

まぁ、だからと言っても、それを実際に行動に起こす人は、稀でしょうが・・・(苦笑)

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まずは、何よりも、自分自身を満たすことを目指す。

僕のような、感受性が強めの人間、

別の言い方をすれば、

環境の影響を受けやすい人にとっては、

『まず、自分を満たす』っていう概念が、『パラダイムシフト』ともなり、

人生に光明をもたらしてくれました。

でも、

『まず、自分を満たす』っていう概念も、

矮小な概念から、偉大な概念まで、幅広くあるものでしょう。

悪徳ともなる、まず、自分を満たすって事。

「まず自分を満たす」を、

矮小な概念で言えば、

自分勝手な行いのことに当たるでしょう。

人の反応なんて、おかまいなしに、

自分の欲に従って、そこで勝手に満足していたら、

ただの矮小な概念になりますし、

そのことを、悪徳とも言います。

でも、

いくら、悪徳に当てはまる行動だと、

事前に解りきったようなことであっても、

自分の感情が悲鳴をあげるまで、我慢してはいけません

ある意味、

そこまで、我慢する事によって、

自分で自分を追い込むくらいなら、

ちょこちょこ、

毒舌を吐いている人の方が、安心出来るってものでしょうから・・・(^^;)

陰徳となる、まず、自分を満たすって事。

上記にあげた、

矮小な悪徳の真逆の概念に、

陰徳ってものがあります。

この、陰徳ってものは、

要は、隠れて徳を積む行為のことを、指します。

また、この陰徳の例を、

シンプルにあげて見ますと、

『自分が心底楽しい』って思う事を、人にやってあげる事でしょう。

勿論、それは、

人の代わりにやってあげるって事でしょう。

『自分が心底楽しい』って思う事っていうのは、

もう、

直接的には、見返りなんてなくても、行為自体を楽しめるんですね。

で、

そういう事を人にしてあげると、

何かしらの『価値』を、自分で受信出来るようになります。

真の意味での価値っていうものは、

等価交換の法則が存在します

要するに、

まず、自発的に、人の代わりに、楽しんで行った行動自体が、

価値の受信に繋がるって事なのです。

まぁ、主観的に観て、分析して観れば、

自分にとっては、

『心底楽しい』って思える事自体が、

行動にかかる、エネルギーコストを軽減する役割を果たし、

価値を受信した時点では、それこそ、

丸儲け状態に、錯覚する効果が期待出来るって事です。

まぁ、種明かしをすれば、

全部自分がした事の、価値を受け取っているに過ぎないのですが・・・(苦笑)、

その行動にかかる、エネルギーコストの軽減こそが、

所謂、

引き寄せの法則とか、呼ばれる原因ともなっているものでしょう。

愛と調和を、体現する為の徳。

上記にあげた、悪徳と陰徳ってものの、

結局は、両方ともが、

愛と調和を、体現する為に、必要な要素でしょう。

要するに、

自発的行動を持って、現すものなのです。

で、

愛と調和を伴った行動っていうのは、

人にも何かしら、『価値』が伝わるんです。

もっと言いますと、

その価値ってものは、決して、

目の前の人達だけを対象としているだけでは、価値足り得ないものでもあります。

要するに、

目の前の人達や、今現在の環境だけをみていると、

そこに見える価値ってものは、

全部、利用価値だけともなります。

だからこそ、

構造ってものを理解して、想像し、

価値の循環足り得るまで、

自発的に、行動を、推し進める必要性もあるのです。

ハッキリ言って、

そのようなことを、手取り足取り、

無料で教えてくれる人って言うのは、

この世に存在しないってくらいの認識を、

持っていた方が良いですね。

そのような、根源的な、

源泉的価値ってものは、誰しもが、

求めて止まないものでもありますから、

人に教えるくらいなら、自分で実践するって認識が、

正しい認識でもあります。

また、だからこそ、

学校の先生のような教え方では、

搾取の構造を、築いてしまうってことでもあるのでしょう・・・・。

先生に、悪気がある無し関係無しに、先生自体も、そ〜ゆ〜あり方なのですから・・・

ま、

あり方的に観れば、

自分で実践している人って言うのは、

言葉はともかく、

あり方的に、見習うべき部分が、存在しますし、

それを自分の経験に繋げることが、

自分でも、

源泉的価値の構造を、構築していくことに、役に立つってことでしょうね・・・(^^)

まとめとして。

いかがでしたか??

『まず自分を満たす』っていう概念。

この概念をもっと追求するべきなのです。

『まず自分を満たす』

これを、素直に追求していけば、

人に隠れて、人には内緒で、自分だけ『何か』を得るだけじゃあ、

『そんなに、自分は満たされない』って事に、気付くことでしょう・・・・。

そのような、

陰徳ではなく、

悪徳を隠している人達って言うのは、

『在り方』の端々に、『それ』が体現されているのです。

『まず自分を満たす』

これを追求していけば、

別に、自分自身を押し殺して、

人の考え方や、思念に同調しなくても、

自然と、

自他の、喜んだり、楽しんだりする境界線が無くなっていって、

自分を満たす事=人を満たす事に、なり得るのです。

但し、キチンと、価値の構築に到るまで、突き進む必要性があることを、断っておきます・・・(苦笑)

『ありのまま』の自分に安心出来るから、

自分の好きな事や、楽しい事を追求していけるのです。

逆に言うと、

『ありのまま』の自分だと不安だから、

やりたくも無い事を追求してしまったり、

嫌だけど我慢して、『何か』を追求してしまうってことですね・・・(^^;)

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