常識とは何か??アインシュタインの名言から考察してみた!!

かのアインシュタインの名言に、

「常識とは、18歳までに身につけた、偏見のコレクションである。」

って言葉があります。

これは、要するに、

高校生卒業くらいまでに、身近な人や、学校教育によって、

教え込まれた、知識ってものが、

要は、常識ってものを、形付けているものでもあります。

が、

その、常識ってものは、

盲目的に、頭から鵜呑みにするだけでは、

あまり、権威付けも出来ないし、

また、ある意味、

自分自身の経験から得た智慧よりも、

真新しい知識の方に、フォーカスが惹きつけられて、

結果的に、捉われてしまう危険性もあるのです。

だけど、だからと言っても、

常識ってものが、

全部が全部、邪魔になるようなものでは無いことでしょう。

もっと言えば、

その、常識として、

定着している行動指針や、決まりのようなものにも、

それなりの意義ってものも存在しているでしょうし、

また、

そこから、常識の大元でもある、

意義や、そもそも論の段階から、

自分自身の経験を踏まえた常識ってものを、再定義出来ることには、

勿論、

ある視点からみたら、危うかったり、

また、矛盾することだって、起こりうるでしょうが、

その常識には、ある意味、

自分自身の経験を対価とした、真っ当な権威付けが出来てしまうものでもあります・・・。

上記のことを踏まえて、今回は、

常識とは何か??アインシュタインの名言から考察してみた!!

ってテーマに沿って、アレコレ考察して行きましょう!!

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常識とは、そもそも、ジャッジ思考を生み出すもの。

常識とは、そもそもとして、

要は、

ジャッジ思考を生み出すものでもあります。

もっと言えば、

学校教育での、答えがすでに、

自分自身以外の中に存在することに対する、

答え合わせみたいなもんでもあります。

まぁ、だからこそ、

学校教育では、

丸暗記をすること=そのままコピーすることが、

成績を上げる為の手順ともなりますよね。

また、もっと簡単に言うてみると、

『ジャッジ思考』っていうのは、

「~しなければならない」「~であるべきだ」っていう思考の事であります。

で、

この、「~しなければならない」「~であるべきだ」っていう思考は、

もう、

人の自我の自動反応なんで、絶対、沸き起こってくるものでもありますね。

以上でした。

・・・・・・・これだけだと、

話が終わってしまうのでもうちょい考察して行きましょう!!(笑)

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ジャッジしないことには、そもそも自我を保てないのが人間。

人間(もちろん僕も含みます!)っていうのは、

ジャッジしない事には、自我を保てない存在なのです。

このジャッジっていうのは、

今までの人生で、

親兄弟や、親戚や、友達や、先生、顔見知りの大人達から、

影響を受けてきたものであります。

人っていうのは、何も知らない赤ん坊の頃から、

『感受性』や、『共感意識』というものを、『無意識』に使いながら、

『常識』ってものを自然と学び取り、

自然と、自分の『感覚』を通して、

「人が、どういう時に、怒るのか?」

または、

「人が、どういう時に、喜ぶのか?」

っていう事を、学んでいくものでしょう。

『学ぶ』っていう『概念』ですら、

実は、後付の『概念』でしかないのかもしれません。

これは、ごく自然と、

誰しもに備わっている、生まれもっての『能力』なんだと思います。

で、

この『能力』っていうのは、

一般的には、『常識』を身に付ける能力や、

何かを学びとる際に、使われる能力として、

認識されているものでしょう。

だからこそ、

『常識』を身に付けると同時に、

正解はコレっていう風な、

『ジャッジ思考』も身に付ける事になります。

このように、

常識→ジャッジ思考→自我を保つっていう、

構図が出来上がります。

これは、人として、

人と関わりながら、生きていく為には、

必要不可欠な『能力』ではありますね。

ジャッジ思考があるから、相手のジャッジ思考も理解出来る。

人とコミュニケーションを取る際にも、

この、ジャッジ思考ってものには、

大きな影響力があるものでしょう。

コミュニケーションっていうのは、

自分の『ジャッジ思考』を知る事で、

相手の『ジャッジ思考』を理解する事でもあります。

これの、

自分が先か?、相手が先か?っていうのは、

その人の捉えやすい方でいいんですね。

自分がしっくりくる方で認識すればよろしいかと。

話がそれましたが、続けます。

要するに、

お互い、『ジャッジ思考』を持っているっていう前提が大事なんですね。

その『ジャッジ思考』を、

『空気』とか、『常識』とか、ラベルを付けて、

共有意識であるがごとく認識する事が、

物事の視野を狭くしているのです

元々、

『感受性』や、『共感意識』ってものは、

誰しもに、備わっているものなのだから、

所謂、

『既存の枠』って感じるようなものでさえ、

多分に、知識だけの、

『幻想』の部分が含まれているって事が解れば、

自分達で、新たに、

『正味の枠』ってものを、創りだせることでしょう。

『既存の枠』のことを、

「全部が全部、幻想だ!!」

・・・・・っていう訳じゃあありません。

思考の幅を広くする為、

または、

思考の抽象度を高めて、可能性を開く為には、

『実体験』を持って、

どの部分が、『正味の枠』で、

どの部分が、『幻想の枠』で、

または、

どの部分が、『一般の枠なのか?』っていう事を、

理解する必要性があるのです。

これは、自分だけが、

「そこに壁はない」

って思っていても、

人にとっては、

「そっちは危険だ」

って思っているかもしれ無いという風な、

ある意味、

人によって個人差のある、メンタルブロックの違いを、認識出来ることに、役立ちます。

それを感じ取る為にも、

元々備わっていた、誰しもが持ち合わせているであろう、

『感受性』『共感意識』を、

『実体験』を持って、研ぎ澄ましていく事が、大事になることでしょう。

自分だけが、

『幻想の枠』だって思っているだけじゃあ、

ただの、コミュニケーション障害とも取られることでしょう。

それを、適切に、

人に伝える事=コミュニケーション能力を鍛える為にも、

人の『ジャッジ思考』を理解する事も大事ですし、

『感受性』『共感意識』を、

主体的に、人に適切に伝える為に使っていける事も、大事になることでしょう。

まとめとして。

いかがでしたか??

常識とは、そもそも論から再構築して、

自分ならではの権威付けをすることが、大事になるってことですね。

また、

常識=ジャッジ思考ってものは、

無くなることが無いものでもあります。

要するに、

常識ってものはともかく、

ジャッジ思考には、自分自身の経験ってものが、

多いに関わってくるものでしょう。

それはまた、

経験に沿って、自分自身で、

真っ当な意義付けをすることで、

まず、最初に、自分が護る必要性が出来、

そして、人に対しても、権威付けるだけの理由も出来ることで、

自分自身の価値観を自己否定することなく、人生を歩んで行けることにも繋がります。

はっきり言って、

自分の経験と、全く絡んでこない、

真新しい知識や、真新しい商品やサービスってものは、

害悪なものでしか無いという認識も、

持ち合わせていた方が良いですね。

ま、要するに、

そのようなものは、権威付けするのが、

難しいものでもありますし、

権威付けしてみたところで、

何か薄っぺらいものが、人にも伝わってしまうことでしょう・・・・(^^;)

それを踏まえて、それを乗り越えて、

反射的に感じる、『最悪の事態』や、『最高の機会』は、

幻想と見破る眼を持つことや、

『本物』に、権威付けていくことが、

大事になるってことでしょうね・・・・(^^)

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