論理的思考とは何か??抽象度を交えて考察する!!

論理的思考(ロジカルシンキング)って大事ですよね〜。

物事を経験して、

その物事を、論理的思考によって、

体系付けて置かないことには、

はっきり言って、

何回繰り返しても、物覚えが悪い状態ともなり、

自分の頭で、物事を考える能力が、伸びて行くものではありません

だけど、

ここで言う、物覚えってものは、

どちらかと言うと、

暗記力の方では無く、

仕組みとか、構造を、論理的に理解する能力ではありますね・・・・。

学校教育のテストで点数をとる為には、

はっきり言って、

暗記力重視の方が、点数を稼げる科目が、

多くを締めるものではありますが、

どちらかと言うと、

社会に出て、仕事として必要なのは、

この、論理的思考力と言ったような、

物事の、仕組みや構造を、理解する能力の方でしょう。

また、

お金の循環と言うものも、

仕組みや構造を、論理的に理解しておかないことには、

全く、再現性が生まれないものでもありますし、

人との関係性や、感情の循環ってものまで、

この、論理的思考力を持って、

抽象度の高い、仕組みや構造まで理解しておかないことには、

良い関係性を築けても、

「何故??上手く行ったのか??」

って部分が、曖昧ともなり、

上手く行かないパターンさえ、

毎回、同じようなパターンに、陥るのにも関わらずに、

それの回避の仕方さえ、解らずに、

抽象度の高い、俯瞰した視点から見れば、

運任せのようにも、見えてしまい、

物事を進める上での、

粘り強さが、失われてしまうものでもありますよね・・・・(^^;)

それを踏まえて今回は、

論理的思考とは何か??抽象度を交えて考察する!!

ってテーマに沿って、

アレコレ考察して行きましょう!!

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目先の論理や理屈では無く、抽象度の高い論理を把握する。

仕事とか、自分自身のプランってものを、

実行する上で、

目先の論理や理屈では無く、抽象度の高い論理を把握するってことが、

大事になることでしょう。

はっきり言って、

目先の論理や理屈ってものは、

詭弁に過ぎないものでもありますよね。

もっと言うと、

目先の事柄は、論理や理屈を語ることよりも、

実際に、実行する方が、話が早いものでもあります。

またまた、

目先の事柄を、論理や理屈で追いかけることは、

ある意味、

簡単に、自己矛盾を作り出す術でもありますね・・・・(^^;)

まぁ、自己矛盾が起こること自体は、

仕方が無いことでもあり、

それによって、

人は巻き込まれてしまうものでもあり、

ある意味、

フラットな視点に、立ち返るって意味では、

自己矛盾自体にも、

抽象度の高い論理では、意義があることではありますね・・・・。

だけど、それの繰り返しだけでは、

決して、

経験則と言ったような、

実用的な、再現性のあるレベルでの、

論理的思考ってものが、

培われて行くことが、あまりありません

要するに、

それを培っていく為にも、

仕組みや構造の論理を、

仮説的にでもいいから、定義しておく必要性もあるのです。

論理は仮説でもいいけど、その背後には、実際の経験ってものが必要。

論理や理屈ってものは、

上記にあげた通り、そのままでは、

詭弁のように、捉えられがちなものでもあります。

が、その背後に、

自分自身の経験による事例を、含ませることで、

その論理の仮説自体にも、

意義が生まれるものでもあります。

ある意味、

自分自身の行動を持って、実験して、

その仮説の論理を、正解に導くことが、大事となるってことです。

また、たとえ、

仮説に過ぎない論理だとしても、

そこに、自分自身の経験が宿ることによって、

主張し続けるモチベーションともなることでしょう。

またまた、

目先の論理や理屈では無く、

抽象度の高い、仕組みや構造に対する論理ってものは、

自分自身の経験を踏まえていれば、

そこには、ある意味、

例外が出るってことが、滅多に起きないのです。

まぁ、

人間心理(自分自身)を踏まえた、本質とも言えるものでしょう。

本質と定義したとしても、それは、自分の主観から見た本質である。

上記で、

人間心理(自分自身)を踏まえた、本質とは言いましたが、

実は、本質ってものは、

あらゆる方向性から見えるものでもあり、

その捉え方は、

人の数だけ存在するって認識も、必要となります。

要するに、

自分自身の本質は、自分自身の流れでもあり、

自分自身の性格が故に、

そのような論理となるって認識ですね。

これは、要するに、

本質って概念自体が、

「それさえ抑えてしまえば、全てOK!!」

って言う風な、

ある意味、

神の摂理や、自然の法則といったような、

ニュアンスを含む、概念でもありますから、

盲目的に、信仰してしまうような、

偶像崇拝を産む、恐れがある概念でもあるのです。

要するに、

宗教で言う神様と、なんら変わりが無い概念でもありますから、

神様を、誰かの定義する、本質に定義することは、

自分自身の、目標やビジョン自体を、

その誰かの反応任せにすることとも同義ともなり、

簡単に、洗脳されやすくなってしまうので、注意も必要です

要するに、

どこから見ても、本質だろうと思われる論理でさえ、

自分自身の経験に沿って、

自分自身の経験を踏まえて、

また、別の事例を持って、

定義し直すことも、肝要ともなるってことです。

また、

本質も仮説でいいから、

とにかく、経験を踏まえて、

全体の構造や仕組みを、論理的に理解する、

もしくは、

論理的思考を持って、全体像(ゲシュタルト)を、

構築することが、大事になるってことです。

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結局は、論理的思考とは、経験を一つに統合する為のもの。

結局は、論理的思考とは、

経験を、一つに統合する為にあるものでしょう。

これは、要するに、

解らないことだらけの状態でもある、

無知の状態を、如何に回避するか?って問題にも、

関係してきます。

解らないことだらけ=無知の状態にいると、

人って言うのは、

簡単に、占い的情報による、

答えっぽい、答えらしき情報を、

鵜呑みにしてしまいガチでもあります。

まぁ、

解らないことだらけだと、

少しでも、確実性のあるものを、

無意識に、求めてしまうのも、

人の心理ではありますよね・・・・・。

だけど、

その、鵜呑みにした情報ってものに、

確かな、確実性をもたらすのも、また、

自分の経験を持って、実証したデータなのです。

それを踏まえて見れば、

端から、自分で実証しているデータを元にした方が、

より、確実性が増すだろうし、繋がり自体も増すってことでしょう。

また、これこそが、

一つ上の概念に意識を置くってことにも、

当てはまります。

参照

努力は夢中に勝てないって、一体、どういうことか??
よく、成功哲学や、成功者の名言に、 「努力は夢中に勝てない」と言われますが、 それって一体、どういうことを差すの...

目の前のやる事、やるべき事の、

一つ上の概念である、全体像=『ゲシュタルト』に意識を向けるんです。

で、

この一つ上の概念に、意識を向ける為には、

まず、

目の前の事に、『論理』や『理屈』があるって事を、前提に、考える事が大事です。

不思議な事に、

『論理』や『理屈』があるって事を前提に、物事を見ると、

勝手に、脳味噌が、『論理』や『理屈』を想定してくれます

でも、この時点では、

その『論理』や『理屈』に、正当性はありません

要するに、仮説状態なのです。

でもね、

その『論理』や『理屈』を想定した上で、

行動による、実証を続けていくと、

それに付随した、全体像=『ゲシュタルト』が、創造されるのです。

人っていうのは、

イイもワルイも、勝手に、

自分の『フィルター』を通した、

『論理』や『理屈』を信仰してしまうものでもあります。

「自分が見たいものしか見えない」

とも言えます。

これは、要するに、

自分の『フィルター』=全体像=『ゲシュタルト』なんですね。

まぁ、実際には、

自分のフィルターとは言いましても、

その背後に、経験が伴っていないと、

フィルターとしても、フワフワしているものでしょうが・・・・(苦笑)。

『ゲシュタルト』が出来上がると、

自分の『フィルター』=目の前の事から見える、

『論理』や『理屈』も変わってくるんです。

まぁ、あくまでも、

その、変化する、論理や理屈ってものは、

目先の論理や理屈でもあるので、

結局は、詭弁に変化が起こるってことに、過ぎないのですが・・・(^^;)

だけど、確かに、

抽象度の高い領域での、

仕組みや、構造理解といったような、

論理的理解は、自分の経験則といったような、

実例が積み重なるごとに、確信が増すものでもあることでしょう!!

論理的思考とは、経験を、論理的に体系化するもの。

上記の確信が増すことで、

自分自身の経験を、余すことなく、

引き出すことが、可能となるのです。

また、無知の状態を、

如何に回避出来るか?ってことが、

物事を進める上で、重要な要素ともなるでしょう。

それを踏まえても、

経験ってものを、便宜に応じて、

引き出せることって言うのは、

物事を、主体的に進める上での、アドバンテージともなりえます。

この視点に立つ事が出来ると、

たとえ、

仮説の『論理』や『理屈』であっても、

無駄が無くなります

必ず、『何か』に繋がるんですね。

その『何か』に繋がる時=一つの対応策を展開出来る時とも言えます。

また、その為にも、

キチンと、経験を、普段から体系付けて、

一つの、抽象度の高い論理として、

たとえ、仮説だったとしても、

まとめておくことが、肝要となるってことです。

また、体系付けておけばおくほど、

色んなシチュエーションで、

ヒラメキ的に、関連付けれるようになることでしょう。

尚、その際には、感情的ではなく、論理的思考で、関連付ける必要性もあるのですが・・・。

そのような、

小さなゲシュタルトが出来上がると、

今まで、仮説でしか無かった、『論理』や『理屈』が、

一つの、正当なる『論理』や『理屈』に出来上がります

価値観ってものが、0.5から1に変わるニュアンスですね。

仮説であっても、

背後に経験を踏まえていれば、価値観は、0では無いのです。

全くの、詭弁でもある、

誰かの受け売りだけの0からは、

価値観ってものは、簡単には、1には変わらないことでしょう。

詭弁の前提が加わると、

また、

0.5からやり直しになるニュアンスでもありますね〜。

だけど、それでも、

無知の状態の、回避には繋がるってことですね!!(^^)b

まとめとして。

いかがでしたか??

目の前のやる事、やるべき事を、

自分の経験を踏まえた、

『論理』や『理論』がある前提で、行いましょう

その上で、

ひとまとまりの体系化された、

『ゲシュタルト』が創造されるまで、

実験(行動)を繰り返しましょう

その創造された、小さな『ゲシュタルト』は、

現実に対する、対応策ともなり、

自分自身のアドバンテージ=価値観の構築に、繋がって行くことでしょう!!

0に掛け算しても、全部0です。

0.5に掛け算しても、本来の半分ですよね。

1になって、初めて、

レバレッジによる、『価値』の循環を、享受出来ることでしょう。

また、

感情的に見れば、プラスの感情が湧き起こる繋がりが、

価値観を産むとは限らないってことが、

ポイントでもあります。

大事なのは、抽象度の高い論理での、

繋がりの方でもありますから、

かえって、感情的には、

負の感情が湧き起こる=メンタルブロックの負荷がかかる繋がりの方が、

価値観を産む場合が、多いことでしょうから・・・(^^;)

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