求めよさらば与えられんの意味することを、考察してみた!!

新約聖書のイエスの言葉に、

「求めよさらば与えられん。」って言葉があります。

僕自身、

別に、キリスト教信者って訳ではありませんし、

ある一定の、宗教団体に、属している訳でもありませんが、

この、

「求めよさらば与えられん。」って言葉には、

価値ってものを、人に提供して、

それが循環することによって、

因果応報がごとく、自分自身も、

価値を自然と享受できると言ったような、

ビジネスとか、人との関係性自体を良くする為の、

本質が、凝縮された言葉なのだと思うのです。

それを踏まえて、今回は、

求めよさらば与えられんの意味することを、考察してみた!!

ってテーマに沿って、アレコレ考察して行きましょう!!

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主観で与えるってことが大事となる。

「求めよさらば与えられん。」って言葉は、

実は、

「与えよさらば与えられん。」って言葉と、

同義の意味合いを、持っているものでしょう。

また、この言葉は、

人に何かを与える時、何かを提供する時のメンタルブロック解除とも、

深く結びつきます

何故ならば、

人に何かを提供する時って言うのは、

その提供する物や、提供する事に、

大きなリスクを感じれば、感じるほど、

提供すると同時に、見返りを求めてしまうものなのです。

簡単に言うと、

リスクが伴えば、伴うほど、

『抵抗=メンタルブロック』が出来上がってくるんですね。

で、

この『抵抗=メンタルブロック』は、お金=価値とも結びついています

お金が掛れば、掛るほど、

価値が生まれれば生まれるほど、

『抵抗=メンタルブロック』が生まれます

またまた、これは、

お金を与える、または、お金を頂く、どっちの場合であっても、

価値を提供する、価値を提供される、どちらの場合であっても、

存在する『抵抗=メンタルブロック』でもあります。

要するに、

お金=価値に対する、自分自身の器とも定義出来るものなのです。

で、

この『抵抗=メンタルブロック』は、

自分の器以上のお金や、価値が手に入ると、

自分自身で、受け取る事に、『罪悪感』を抱いてしまい、

その『罪悪感』が、お金の使い方や、

価値提供の仕方に現れてしまうのです。

簡単に言うと、

『浪費』に走ってしまったり、

罪悪感が故に、本当の意味で、

やりたいこと=提供したいことじゃあない、

価値提供の在り方を、行ってしまうのです。

だからこそ、

自分自身が、真に望むことって言うのは、

人の理解は、最初の段階では、横においておいてでも、

主観で人に、提供し続けるってことが、大事になるってことです。

そもそもとして、自己投資って概念が、価値提供には大切。

そもそもとして、

『自己投資』っていう概念が、抜け落ちたまま、

生活に必要最低限な事以外に、

お金を使うって事は、全部、『浪費』にあたると思います。

また、これを言い換えると、

『自分磨き』って言う概念が無いと、

人に価値提供なんて、出来ないことでしょう。

また、そもそも、

『自己投資』っていう概念は、お金を使う事や、使う物に対する、

自分自身の定義付け次第で、

それが、自己投資となるのか?

またまた、

浪費となるのか?って違いが出てくるものでもあります。

勿論、定義付けとは言っても、

勝手に、自分で思い込むだけでは、キチンと、定義付けは出来ないことでしょう。

その定義付けの背後に、

その定義に沿った、行動なり、経験則が必要であることは、

言うまでも無いことではありますね・・・・。

定義付けがキチンと出来ている、

お金の使い方っていうのは、

例え、

ギャンブルであっても、『自己投資』になり得ます

勿論、

運任せだけの、娯楽のギャンブルでは、

自己投資とは言えないことでしょうが、

ちゃんと、自己規律に則った、ルールがあればこそ、

ギャンブルも、自己投資となるとも言えるでしょうし、

またまた、

気晴らし感覚で、

使う金額を決めて、遊びと割り切ること自体も、

自己投資とまでは言えないでも、

自分磨きとは言えるかもしれませんね・・・・(笑)。

まぁ、それでも、負けるとやっぱり、心が揺らぐものでしょうが・・・(^^;)

覚悟を決めるには、お金と経験を対価にするのが一番。

上記に書いた、

自分自身への定義付けっていうのは、

自分自身への『覚悟』とも言えます。

簡単に言うと、

自分にとって、為になるのは解っているんだけど、

ど~~しても、第一歩が踏み出せないっていうような時に、

お金っていうのは、

行動する為の、自分自身への、動機付けになりますし、

また、

経験則を踏まえて、

過去の事例を絡めていくことで、

お金を使う事を、

『浪費』にしないで、『自己投資』にする為の、

自分自身の定義付けを『正当化』する意識が生まれるものでもあります。

ちゃんと『正当化』が出来ると、

頑張れる理由にもなります。

また、

自分で正当化することに、抵抗がある人って言うのも、

中には存在しているでしょうが、

ちゃんと、経験を踏まえていることは、

逆に、正当化しない方が、

せっかくの、経験を活かせないことともなり、

かえって、周りに迷惑をかけるような、罪悪感も出てくることでしょうから、

頑張って、正当化してしまいましょう!!(笑)

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客観的に与えるってことの罠。

人に価値提供をするときに、

意識すべきことは、

やっぱり、

「主観で与える。」ってことでしょう。

この逆の、

『客観で与える』って事は、

在る意味、

便利屋になるって事でもあるのです。

まぁ、世の中の、

下っ端の仕事って言うのは、

ほぼほぼ、便利屋扱いでもあることでしょう。

何故ならば、便利屋が、一般的に言う、価値の定義でしょうから。

でも、便利屋じゃあ、

価値の源泉が、人からの評価となっており、

自分自身に対する定義付けと言う風な、

信仰の領域での定義付けが、弱くなってしまいます

何故ならば、

自分が、主観で思っているほどの、

頑張ってる感が、

人には価値とは感じることが、出来ない状態ともなるからなのです。

もし、今、

自分自身が便利屋になっているかもって思う様な方は、

その便利屋仕事の中で、

自分自身が行為自体を楽しめる事や、

ストイックに、追求し続けれるような事を、

抽出する事をおすすめします。

また、そのような仕事を、

誰に言われるでもなく、

自分自身で、仕事に加えて行き、

人に相談するよりも、実行することを、オススメします。

これは、要するに、

無尽蔵に、人に与えれるって事、

頑張らないで、人に与えるって事が、

大事となるってことです。

与えて、与えて、与えまくるくらいの気持ちが大事。

「求めよされば与えられん。」や、

「与えよされば与えられん。」を、

実際に体現するためには、

与えて、与えて、与えまくるくらいの気持ちが大事となることでしょう。

でも、人間ですから、

与えたって意識が働くと、

見返りを求める意識も、同時に働くものでもあることでしょう。

だけど、その、

見返りを求めた瞬間、足が止まってしまうものでもあります。

足を止めない為には、

『主観で与える』事を、習慣にし、

自己投資や、自分磨きを念頭に置いて、

与えると同時に、

自分も楽しみを受け取るって意識を、

実感することが、肝ともなります。

またまた、これを繰り返し、

習慣として、経験となることで、

人から価値提供される事に対する『抵抗=メンタルブロック』にも、

変化が訪れます。

簡単に言うと、

受け取る罪悪感をやわらぐ為には、

まず自分が、

『主観で与える』事を覚えて、

与える事=受け取る事ともなりうる、

与える事自体の、『真の楽しみ』ってものを、

知る必要があるって事です。

『主観で与える』って事の『真の楽しみ』を知ると、

『自分のフィルター』に沿わない、人の頼みごとを断る事の、

罪悪感も、段々と、無くなって行く事でしょう

これは、

『セルフイメージ』が高くなるって事でもありますが、

別の言い方をすれば、

人の指図を受けないでも、

『価値を与えれる』強みとなるって言う事ですね・・・(^^)

まとめとして。

いかがでしたか??

便利屋は、要するに、

自分の提供できる『価値』が、相手に適切に伝わっていないって事なのです。

だから、

何でも頼まれるし、何でも指図されるのです。

『強み』を適切に伝える力があり、

価値が、適切に循環していれば、

それ相応の扱いになり、

その『強み』に沿った、仕事や頼みごとがくる事でしょう。

まぁ、

目の前の仕事や頼みごとから、

そのような、

『強み』を発揮し続けることも、大事になることでしょうし、

そのまま、バッチリ相性が合うような人は、

相手の属性は、絞られることにもなるでしょうが・・・・(笑)。

八方美人になるよりも、

それ相応の扱いをしてくれる、限られた人と、関わっていきたいですし、

正当化する為の強みは、選ぶことが、大事になりますよってことですね!!(^^)

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