天上天下唯我独尊って言葉の、本当の意味とは??

かの有名な、

お釈迦様の言った言葉に、

「天上天下唯我独尊。」って言葉があります。

この言葉を、そのまま、

表面のニュアンスで受け取ると、

所謂、

暴走族の特攻服に書かれているようなイメージもあり、

「この世で、最も尊いのは、我のみ。」という風な、

超自己中なイメージを彷彿させるものでもあり、

はっきり言って、

そのまま我々が、適応するには、

いささか、気が引けるものでもありますし、

なおかつ、

社会的にも、通用しないでしょうし、

また、

逆に、その他の我からすれば、

弾圧でもあり、排除する対象とも、なりかねないことでしょう・・・・(^^;)

だけど、

ここで言う、ってもの、

要するに、

自我とか、真我と呼ばれるようなものを、

また、別の言葉で表現しますと、

哲学者でもある、デカルトの言う、

「我思う故に、我あり。」って言葉とも、

関連性を、見出すことも、可能なものでもあります。

要するに、

「我思う故に、我あり。」って言葉や、

「天上天下唯我独尊。」って言葉でいうところの、

って存在は、

決して、自我だけのことを、表していないのであろうと言うことです。

もっと言うと、

自我でもある、我って存在ってものは、

人との関係性でもあり、関連性が無いことには、

それだけでは、存在することが、決して出来ないですし、

関係性でもあり、関連性が出来上がることによって、

その存在が、証明される存在でもあるのです。

こう聞くと、

決して、

自分勝手な、我が儘なだけの、自己中とは、

また違った、視野の広がりが、見えて来ることでしょう!!

それを踏まえて、今回は、

天上天下唯我独尊って言葉の、本当の意味とは??

ってテーマに沿って、アレコレ考察してみましょう!!

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自分を知る為には、あえて、我が儘になってみることも必要。

「天上天下唯我独尊。」や、

「我思う故に、我あり。」って言葉の、

我=自分を知る為には、

あえて、我が儘になってみる、もしくは、

あえて、我が儘を表現してみる、演じてみるってことが、

肝要にもなります。

また、これは、

先日の記事でも書いた、

心理的ブロックを主観的に、解りやすくする方法でもあります。

参照:

経験を活かす意味はコレ!!過去の出来事の捉え方が大事??
経験を活かすと、 何事も、積み重ねが出来上がり、 やればやるほど、アドバンテージが出来上がっていくものでもあるこ...

日本人の多くの人は、

基本的に、

『自分』ってものを、隠す傾向にあります。

日本の文化である、

社交辞令とか、奥ゆかしさっていうものの影響でもありますし、

社会的な構造の影響もあることでしょう。

この文化自体は、

変に、細かいやりとりをしないでも、

構造的な、機能的役割を共有する為には、

適しているものではありますが、

それによって、

人の機能的役割に、コモディティ化が出来上がり、

管理する側からすれば、解りやすくなる側面もありますが、

それによって、

「自分らしさ」ってものが、

無くなってしまう側面も、持ち合わせています

このコモディティ化によって、

取り替え可能なことばかりに、

特化し続けると、

段々と、心のバランスが崩れて来て、

『自己矛盾』に陥って、不幸感の元にもなってしまいます

この、不幸感ってものは、

要は、

充実感ってものの、欠如の状態でもあることでしょう。

まぁ、だけど、

充実感ってものも、

主観的、客観的、両方の側面から、

感じることが出来うる性質を持っている為、

その、自分が感じる敷居を低くしていくことが、

結果的には、

充実感が充足することにも、繋がることでしょう。

また、逆に言うと、

結果でもあり、客観的な側面の方から、

充実感を求めることは、

不幸感を高めることにも繋がってしまい、

ちょっとや、ありふれた、当たり前の結果では、

満足仕切れない、所謂、

感謝が足りない状態の在り方に、

陥ってしまうものでもありますから、

注意が必要ではありますね・・・・(苦笑)。

自分=我を大切にする為には、距離感ってものが大事。

上記に書いた、

自分=我を、大切に扱うこと自体が、

「天上天下唯我独尊。」や、

「我思う故に、我あり。」って言葉を、

現実的に、活用していく術ともなることでしょう。

それを踏まえて考察してみると、

「親しき仲にも礼儀あり。」

って言葉がありますが、

僕はこの言葉が好きです。

いくら、

身内や、仲が良い関係性であったとしても、

「親しき仲にも礼儀あり。」の在り方を実践すること自体が、

相手の『自分=我』を尊重することにも、

当てはまることになることでしょう。

また、ぶっちゃけて言いますと、

たとえ、

親しい関係性で、

なおかつ、

上司や、目上にあたる人であっても、

土足で踏み込ませない領域を持ち

かつ、

相手にもその領域を持ってもらうって事自体が、

その、「親しき仲にも礼儀あり。」を、

実践することに、当てはまることでしょう。

まぁ、

僕自身、末っ子だという事もあり、

昔からよく、

そういう、

『自分=我』の大元の領域を、

土足でズカズカと、踏み荒らされた経験が、

多々あり、それによって、

自分=我を見失いながら、育って来たなぁって、

今現在では、思う次第でもあるからなのです・・・・(苦笑)。

まぁ、その当時は、

「現実ってこんなもんなのかなぁ・・・・」

って、悠長に構えていたんですが、

自分の人生を、より良くしたい、

セルフイメージを高めたいっていうような、

願望を持ち始めてから解ったんですが、

その自分の悠長さが、

如何に、

自分自身で、

「自分=我や、自分が行使出来うる影響力を、ないがしろにしていたか??」

が解ったのですよ・・・・(笑)。

まぁ、だからと言って、

そのような、

たとえ、自分を見失いガチな経験値ってものであったとせよ、

その経験があるからこそ、その価値を享受出来るのでもあり、

経験自体が無駄であるとは言いませんがね・・・・(^^)

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時には、小さくなって戦うことも必要。

自分の絶対領域が、

土足で踏み荒らされそうになった時には、

戦う意志を持つ事が大事です。

要するに、時には、

勧善懲悪的に、独善的に、

自分の意志を主張する必要性があるのです。

勿論、

それは討論では無く、

完全に論破してしまえるくらいで良いのです。

またまた、

討論に持ち込まれないように、

あらかじめ、

その防衛策として、

論理の抽象度を高めておく=話の規模を大きくしておく必要性もあります

また、

そこに土足で踏み入る相手っていうのも、

勧善懲悪的に、独善的に、

踏み入ってくる特徴を持っている場合があることでしょう。

そのような場合は、

そこに、自分自身も、

勧善懲悪的に、独善的に、

抽象度を高めて、意見をぶつける事で、

水掛け論にしてしまうのです。

またまた、相手が、

普通に踏み入ってきた時は、

スルーしたら、いいことでしょう。

ある意味、

それくらい、

自分自身で、拘って大事にしてもいいくらいなのです。

何故ならば、そこは、

自分=我を大切に扱う為には、

生命線にもなる部分でもあるからですし、

その部分をぞんざいに扱うこと自体が、

自分らしさでもあり、人間らしさを失うことにも、繋がってしまうからなのです。

お釈迦様や、デカルトが、

「天上天下唯我独尊。」とか、

「我思う故に、我あり。」といった、

言葉を残したのは、

人でもあり、自分でもあり、我でもある存在ってもの自体も、

また、

草花や、動物等と同じく、自然の一部だと言うことをも、

表していることなのでしょう!!

それを踏まえてみると、

自我ってものは、エゴとか欲望とか呼ばれて、

それだけが、自然では無いような存在のように、

扱われガチでもありますが、

自我ってものの大元は、

インナーチャイルドとも呼ばれるような、

幼少時代の子供でもあることでしょう。

要するに、

規模を小さくして、そのコアだけを見てみれば、

なんでも無いようなこと自体が、

その欲望の元ともなっていることでしょうし、

それもまた、大した条件も必要無く、

自然と満たすことが、可能なものでもあることでしょうからね・・・・・!!

セルフイメージって言うのは、自分=我の満足感によって高まる。

セルフイメージを高める事っていうのは、

人から、それなりの扱いをされる事でもありますし、

人の『自己重要感』を満たし得る自分で在る事とも言えます。

要するに、

セルフイメージが低いと、

イイ感情の循環ともなりうる、機能的価値を提供出来る、

お互いが、

与え合えるコミュニケーションが出来る人間関係ってものが構築出来ないのです。

その為に、

まず最初の段階に、最低限、必要になるものが、

自分自身の『絶対領域』を死守する姿勢なのです。

でも、

これを、なんでもかんでもに適応させると、

ただのコミュニケーション障害や、

ただの気難しい人と、相手には見えてしまうことでしょう。

でも、時には、

気難しい人になったり、

コミュニケーション障害になったりする事も、意外と大事なことなのですよ??

その背後にある、

自分自身の『絶対領域』を死守するっていう、

考えや姿勢は、相手にも伝わっているはずです。

軸が無い人間関係は、

生産性の無い、

腐れ縁しか生まないことでしょう。

その為にも、

『自分の絶対領域』を死守する事って、

大事な事ともなることでしょう!!

はっきり言って、

自分以外に、守りきれる人なんて、

他にいないですし、

それは、自己責任の、現実の舵取りにもなりうるでしょうから・・・(^^)

まとめとして。

いかがでしたか??

真の意味で、

死守するべき部分が解ると、他には寛容にもなれるもんなのです。

そういう意味でも、

自分が守るべき、肝になる部分や、

コアになる部分を、より深く、知る必要がありますね。

そのコアの部分は、

在る意味、

自分に課された、

不言実行の、絶対領域でもあることでしょうよ。

まぁ、

有言実行でもいいんですが・・・(笑)、

不言実行の方が、迷いは出にくいですね。

行動する直前に、

宣言するくらいで、丁度いいことでしょうし、

一期一会とも言いますから、

腐れ縁や、たとえ、生産性の無い関係性であっても、

専門性のある、軸のある関係性よりは、

軽い繋がりにはなることでしょうが、

別に、ぞんざいに扱う必要性はありません

何処で誰に繋がるか、

解ったもんでもありませんからね・・・・(苦笑)

ま、

縁を通して、自分=我を大切に扱うってことでしょうね・・・・(^^)

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