知識や経験は、感情で繋がり線となる!!

一般的に、

知識って言うと、

勉強のような、本とか、

人から聞いた情報でもあり、

またまた、

インターネットで調べた情報ってものも、

知識の範疇に、収まるものではありますね。

また、経験って言うと、

当たり前ですが、

自分自身が、実際に、体験したことに、

当てはまることでしょう・・・・。

だけど、

その、知識と経験ってものは、

勿論、自分自身では、

ある程度の、住み分けが出来ていることでしょうが、

その、経験したことによる、

期待値とか、未来視点での、

関連性ってことに、フォーカスを当てて行くと、

中々どうして、

客観的視点でもそうですし、

主観的視点でさえも、

知識と経験の、境目ってものは、曖昧にもなってしまい、

明確に、分け切れるものでもありませんし、

それが故に、

人っていうのは、成長して行く存在でもあることでしょう・・・・・!!

まぁ、

だからと言って、

明確な、自分自身が体験したことを、

ボカした上で、なおかつ、

知識ばかりを、ひけらかすような人っていうのは、

誰しもが、胡散臭く思ってしまい、

ユウタ的にも感じてしまい、

どちらかと言えば、

情報に翻弄されて、巻き込まれることを、避けてしまいガチでもありますよね〜・・・・(^^;)

だけど、

そのような、

胡散臭さが出るような所にこそ、

上記にあげた通り、

実は、

自分自身の、ステージを高める為の、種も存在するって事実もあるのです・・・・・。

それらを踏まえて、

今回は、

かの、アップル社の、スティーブ=ジョブスの、

「点と点が線になる。」にちなんで、

知識や経験は、感情で繋がり線となる!!

ってテーマに沿って、アレコレ考察して行きましょう!!

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概念やイメージってものは、感情によって統合される。

概念やイメージと言いますと、

右脳の通して受信するんであろう、

直感的に出る、概念やイメージの事でありますね。

この概念やイメージっていうのは、

在る意味、

何のあても無いような所から来ると感じるものでもあります。

だけど、

その、何のあても無いような所から来るとも感じるものの中で、

ただ一つ、

確かなもの、

現実的なものっていうのは、

「確かに、自分の感情が動かされる。」

ってだけしか無いものでもあります。

在る意味、

全体性の把握である、

ゲシュタルトの構築よりも先に来る感情でもあり、

衝動とも呼ばれるようなものでしょう・・・・。

だから、

その感情や、衝動が湧き起こった時点では、

その先の計算っていうものは、

頭の中では、計算しようと思えば出来ますが、

その時点での計算っていうものには、

狸の皮算用の如く、

あまり意味の無いものでもあることでしょう・・・・・・。

この時点での計算ってものは、

要するに、

『絵に描いた餅』なのです。

要するに、その想定は、

自分の行動や、

それによって受け取る現実によって、

簡単に崩れ去るものでもあり、

また、

自分の行動や、

それによって受け取る現実からのメッセージの方が、

より力強いものにも、なって行くことでしょう・・・・・!!

その感情や衝動っていうものは、

「現実から突かれている。」とも言えますし、

またまた、

在る意味、

「真我からのメッセージ。」

とも受け取ることも、可能なものではあります。

真我って言葉は、

まぁ、

自分自身の、より良き未来像ってものや、

自分自身が、真の意味で、

向かいたい方向性ってものは、

自分自身の内に、既に、培われている

もしくは、

存在するってことを、

前提とした言葉でもありますから、

その、未来視点での、片鱗とか、

部品となるような繋がりってものは、

今ここの視点から見て、

存在することが、当たり前の感覚でもありますし、

また、

今ここの視点っていうものは、

未来と過去にも、繋がっているという前提の話ではありますね・・・・・(^^)

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直感ってものは、必ずしも、目先の結果には繋がらない。

上記に書いた、

直感=その感情や衝動に従う事が、

必ずしも、目先の結果を生み出すとは言い難いものでもあることでしょう・・・・・。

勿論、

直感で行動して、

上手くいくことも、あることでしょうが、

はっきり言って、

それは、サイコロを振ったり、

ギャンブル感覚で、行動を起こすことと、

何ら違いがありません

だけど、

その行動による、物事の正否とは関わらずに、

必ずといって良いほど、

新たな概念や、イメージをもたらしてくれるもの、

もしくは、関連性をもたらしてくれるものではあります・・・・・!!

要するに、

行動がゲシュタルトとなり、

新たな概念や、イメージと関連した、

その次の行動を生み出すのです・・・・!!

またまた、

勿論ではありますが、

その、直感ってものを、

例え、ある程度のリスク管理前提で、

もっと言えば、

ある程度の、撤退ライン前提であったとしても、

行動として、形にしてみることっていうのは、

結構、重要なことでもあり、

その行動が、ある、無し次第では、

物事の、視野の広さに、違いが生じることでしょう・・・・。

例え、

マインドセットや理念で、

どれだけ、立派な考え方や、

考えを持っていたとしても、

その感情や、衝動に従った、

行動や、それによってもたらされる、

関連して来る概念や、イメージには、

結果的には、負けてしまうものでもあるのです。

マインドセットや理念は、現実を踏まえる方が強い。

マインドセットや理念ってものは、

勿論、

そこに説得力があれば、

自分自身の力となることでしょう。

だけど、

その説得力ってものは、

まず、自分自身を、説得出来る必要性がありますね・・・・

自分自身、半信半疑のマインドセットや理念ってものは、

ノウハウコレクターのノウハウと一緒ですから(苦笑)、

人を説得するのは、勿論のこと、

自分自身すら、説得することが、難しいものでもあることでしょう・・・・・(^^;)

※ここで言う、自分自身の説得とは、当たり前に、行動に移すこと、もしくは、信仰心の類にも、当てはまってきますね。

その為にも、

現実を元に、マインドセットや理念を構築する、

もしくは、

現実を踏まえて、マインドセットや理念を、軌道修正する必要性もあるのです。

まず最初に、感情であり、衝動ありきなんです。

そして、

それがどういう現実の解釈を生み出すかは、

それを行動に移すまでは、決して解らないのです。

勿論、

過去にとった行動と、

関連性が高い行動であればあるほど、

予測と言うか、狸の皮算用は、

より、働く可能性が高まりますが(苦笑)、

そう言った場合は、

微差の調整により、

新しい可能性を追求する必要性も、ありますね・・・・(^^)

そのようにして、

その、不安と期待の入り混じった状態で、

行動を起こす事自体によって、

その行動自体に、重要性が出来、

その行動自体が、自己宣言=コミットともなり、

『意味』とか、『価値』ってものが、生まれて来るのでしょう・・・・・・!!

言葉で宣言してもいいのですが、

こと、自己宣言=コミットともなると、

行動の方が、言葉よりも、声が大きくもなり、力強くもなることでしょう・・・・!!

その、行動によって受け取る、

概念や、イメージや、

その、関連性によって、

自然と、覚悟ってものは、決まることでしょう・・・・(^^)

勿論、行動ベースであっても、

言葉もある方が、微調整はしやすいことでしょうが・・・・。

言葉が全く無いと、動物のようにもなってしまいますからね・・・・・(^^;)

ま、自分自身の、

自我を踏まえていくと、

自然と、

行動や言葉にも、人間臭さが、出てくることでしょうが・・・・(笑)。

自分自身の在り方のチャンネルを、真我にチューニングする。

真我のメッセージに、

不安と期待の入り混じった状態で、

行動に移して答える事によって、

自分自身の『在り方』のチャンネルを、

真我とチューニングする事に、なるのかもしれません

その行動によって、

目先の物事の正否は、

成功する時もあるし、

失敗に終わる時もありますが、

抽象度の高い、

自分自身の真の望みには、

一歩、一歩、近づいていくんだと思いますよ・・・・・(^^)

もしくは、

自分自身の、真の望みの片鱗が、

見えて来ることで、

段々と、大きな視点でもあり、

抽象度の高い視野ではありますが、

ボヤッと、輪郭くらいは見えてくることでしょうし、

またまた、

少なくとも、

それを追求する術くらいは、理解出来ることでしょう・・・・・(笑)。

こういう、

一見、

KYに見えるような、

恥知らずにも見えるような、

感情や衝動に従った行動をとる事によって、

その先の自分の現実が、

自分の真の望みに近づく実感を得ることが、可能となります。

もうちょい言い換えて見ると、

上手く行かない現実でもあり、

しっくりこない現実

不完全燃焼な現実を、打破する為には、

環境を変化させることは、

勿論なことではありますが、

環境だけを変化させても、

自分自身の、主観から見える、世界観ってものには、

そんなに変化ってものは、訪れないものでもあるのです。

上手く行かない現実、

しっくりこない現実、

不完全燃焼な現実を、打破する為には、

まず最初に、

自分自身の、物事の捉え方でもあり、

フィルターを作り出している、

概念や、イメージそのものでもあり、関連性ってものに、変化を起こす必要性があるのです。

その、変化でもあり、

進化が成れば、

同じような環境であったとしても、

世界観ってものが、まるで別物にも、見えて来ることでしょう・・・・・!!

また、はっきり言って、

自分自身の、真の望みって物自体は、

別に、そこまで重要なものでも無いのかもしれません・・・・。

何故ならば、

それは、抽象的でもあり、

絶えず、進化していくものでもあるからです。

だけど、

それが無いって言うのは、

ちょっと違うのだと思う次第なのです・・・・。

あくまでも、

世界観を構築する為、

世界観に変化を起こす為には、

必要不可欠となる概念でもあり、

具体的かどうかよりも、

その、存在を意識すること自体に、意味合いがあるものなのでしょう・・・・・・!!

そのようなことを、

考察していると、

坂本龍馬の、

「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すべきことは我のみぞ知る。」

って言葉の意味が、

しっくり来ちゃったりもしますよ・・・・・・(^^)b

まとめとして。

いかがでしたか??

不安と期待の入り混じった状態での『行動』は、

たとえ、目先の行動自体は、

失敗に終わったとしても、

不思議と後悔はしないものでもありますね・・・・(^^)

何故ならば、

その時には、確かに、

その行動が必要であったことも、

理性的に、判断出来ますし、

それに沿った解釈で、

その後の現実自体が、展開していくからでもありますね・・・!!

まぁ、だからこそ、

真我ってものの存在を、

たとえ、具体的に見えていなくても、

ボヤッと抽象的にしか、理解出来なくても、

信仰しているってことなのでしょうが・・・・・(^^)

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