勧善懲悪の意味を考察し、自分で選ぶといふこと。

勧善懲悪というと、

正義を定義する、もしくは、

正義を定義されるということにも当てはまってきますが、

こと、

日本ていうのは、民主主義でもあり、

勿論、

日本国憲法というような、

法律に従うこと自体は、

日本で生活する上で、当たり前に、

必要になってくるものでしょうが、

それ以外にも、

我々は、お金や富という風な、資本主義社会からも、

影響を受けるものではありますね・・・・・。

それらを踏まえて見ても、

世の中は、

一見、

勧善懲悪に見える、ストーリーってものに、溢れているものでもあります。

が、だからと言っても、

勧善懲悪に見える、もしくは、

勧善懲悪に見せているってこと自体にも、

ある一定の理由でもあり、

利点ってものが存在するでしょうし、

またまた、

その逆に、一見、悪とか、マイナスの要素にしか見えない方向にも、

幻想にすぎない悪とか、

幻想にすぎないマイナス要素ってものも、

存在するが故に、

世の中は、

新しい勧善懲悪な、ストーリーを作り出す為の、

可能性に溢れているとは言えるものではありますね・・・・・。

だけど、これも、

まぁ、自己責任の問題でもありますし、

またまた、

あえて、

すでに存在する、

勧善懲悪に見えるようなストーリーから、はみ出すからには、

そこに含まれる、悪の要素や、

マイナスの要素を、

たとえ、結果的には、

幻想にすぎない結果に、たどり着くのだとしても、

想定する必要性がありますし、

また、

その前情報自体も、取り込んでしまう必要もあるでしょうし、

またまた、

その上で、

勧善懲悪なストーリーを、紡ぎあげていく必要性もあるのです・・・・・・!!

そのような、

自分自身の、ある意味、

正義とも言えるような、

もしくは、

自分自身にとって、

現状に存在する、勧善懲悪なストーリーよりも、

少なくとも、

心に一つでも響くストーリー性を、展開していく為にも、

今回は、

勧善懲悪の意味を考察し、自分で選ぶといふこと。

ってテーマに沿って、アレコレ考察して行きましょう!!

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正当なストーリーってものを、考察する。

正当なストーリーっていうのは、

勧善懲悪的な、

簡単に言うと、

「それしか仕方が無いストーリー」だと言えます。

要するに、

色~~~んな、

マイナスの条件が存在していて、選択肢が無くなって行き

「もうそうするしか、仕方が無かった。」

っていうようなストーリーでもあります。

在る意味、

世の中の大半の人は、

このストーリーの中で、生きていることでしょう。

でもね、

確かに、

行動を起こす為には、

選択肢を無くして行き、

あえて、

視野を狭くした方が、

行動を起こす事自体は容易ではあります。

だけど、

その無くして行く選択肢っていうのは、

自分で選んでいるって事、

または、

自分で選べるって事も、

自分自身の経験を通して、理解しおくと、

より一層、

その選択のモチベーションが、高まることでしょう・・・・・!!

要するに、

たとえ、同じような、

制限されたストーリーの中で、生きていくとしても、

この、

自分の経験を通して、

自分自身で選択している認識があるか?、否か?は、

その人に、

人間としての深みを持たせるものでもあります。

これは、要するに、

盲目的にストーリーに乗っているのか?

自覚的に、あえて、ストーリーに乗っているか?違いではありますが、

態度としては、あまり、

代わり映えがしないものではあるでしょうが(苦笑)、

決定的な違いをあげれば、

揺さぶりに強くなるとも言えますね・・・・(^^)

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絶対ってものは、一旦、疑う視点を持つことも重要。

「世の中には、絶対は無い。」って言葉が、

誰が言い始めたのかは、

いまいち解りませんが、

何かと、つきまとう言葉ではありますね・・・・。

まぁ、

絶対ってものは、盲目的に、盲信するんじゃあ無くて、

少なくとも、

自分自身の、根拠ってものの方が、

信仰の対象としては、何かと役には立つでしょうし、

はたまた、

その信仰の弊害も、受け入れやすいものでもあることでしょう・・・・・!!

それらを踏まえて見ても、

絶対ってものは、一旦、疑う視点を持つ事が、

重要となります。

これは、

在る意味、

反逆的な視点を持つ事とも言えますね。

でも、

ただ反逆的なだけじゃあ、

誰にも相手にされないでしょうし、

また、

話手としても、聞く耳を持たない姿勢の人っていうのは、

嗅覚で感じ取ってしまうものでもありますよね・・・・・(^^;)

またまた、

上記以外にも、マイナス要素をあげていくと、

この反逆的な視点っていうのは、

色んなストーリーに、盲目的に、乗せられないって利点があるのですが、

それと同時に、

分離不安に襲われるっていうマイナス要素もあります

分離不安とは、要するに、

孤立による、恐怖心でもあり、

孤立による、落ち着かない気持ちのことですね。

もしくは、

孤立するかもしれないってだけでも、

人によっては、恐怖を感じることでしょう・・・・。

でもね、

この分離不安っていうものは、

そんなに、

悪いものでも無いって認識も必要でしょうし、

また、

分離不安ってものは、

生きている人間には、つきものの感情でもありますから、

その感情を対策して、受け入れて、飼い慣らしておく方が、

何かと、生きやすくはなることでしょう・・・・・!!

マイナスにしか見えない、分離不安ってものの可能性とは??

一見、マイナスの要素にしか見えない、

分離不安って感情ですが、

実は、自分自身の、影響力を発揮する為には、

分離不安の感情は、避けては通れない感情でもあるのです・・・・!!

在る意味、

この分離不安ってものを、

味わいながら、行動する事によって、

行動にパワーが宿るのです・・・・!!

その為にも、

その、分離不安の感情を、

呼び起こす為にも、

一旦、

自分を巻き込んでいる、

自分が選択しているストーリーってものを、

全部、

反逆的な視点で見てみる必要性があるということです。

一旦、

あえて、

反逆し、

分離不安を味わいながら、行動する事で、

それでも、

その上でも、

選択しようって思えるストーリーと、

もう必要無いなって思ってしまうストーリーの、

大きく分類すると、二種類のストーリーに別れることともなるでしょう・・・・!!

勿論、

選択するってことは、=行動を起こすってことでもありますから、

上記の二種類以外の、どちらでも良いようなストーリーさえ、

ある意味、

行動によって、一つのストーリーとして、

選択されることにはなることでしょう・・・・!!

また、そのような、

それでも、

選択しようって思えたストーリーっていうものに、

自覚的に乗っかる事が大事になるでしょうし、

もっと言えば、

あえて、執着する事が大事になるのです・・・・!!

そのシチュエーション次第では、

ある意味、

自然に選択できるような、シチュエーションばかりが、

現実に現れるとは限らないでしょうから、

そこは、もう、

人間臭くても、泥臭くなっても、

たとえ、

スマートには行かなかったとしても、

執着して、行動に変換するって気持ちも、

大事になることでしょうね・・・・・。

在る意味、

あえて、

反逆し、

分離不安を掘り起こしてでも、

その感情を味わう事、受け入れる事で、

その後の選択ともなる行動に、

パワーであり、価値でもあり、影響力ってものが乗っかるのです・・・・!!

あえて、掘り起こしてでも、

分離不安を経て、

選択したって事が、重要ともなるのです。

これは、

在る意味、

自分自身の、経験則を振り返って見ると、

自分の人生に、

大きく影響を与える選択には、

付き物のプロセスでもありますし、

また、

そのプロセスを、再構築する度に、

自分自身にとっての、重要度も、高まっていくものでもありますね・・・・・・。

またまた、

このプロセスを経ないで、

盲目的に、直感だけで選択しても、

その選択自体が、

今までの人生の、繰り返しに過ぎなくて、

もっと言えば、

直感だけでは、過去の経験のパターン性から、変化することはありません

要するに、

直感ってものは、過去の経験のパターンの、

何かしらに、必ず関連してくるものでもあるのです。

だからこそ、

過去の経験のパターン性の、

その延長線上に存在する、

未来視点での、経験パターンを構築して、

自分のストーリーに、

パラダイムシフトを起こしていく必要性があるのです・・・・・!!

現実ってものは、

流動性があるものでしょうし、

その大きな、流動性の中で、

幸福感とか、充実感を満喫しながら、

豊かな、幸せな人生を送って行く為には、

自分のストーリーに、

良い意味で、パラダイムシフトを起こしてくれるものを、

求め続ける必要性があります

その為には、

一見、幸福感とか、充実感とは、

真逆にも見えるであろう、

分離不安って感情を、

受け取ること、味わうことっていうものも、

ある意味、

避けては通れないって認識も、

そろそろ、

我々は、必要だと認識しても、良いことでしょう・・・・・!!

またまた、

分離不安の感情に襲われても、

『自分』っていう存在が、

消えてしまう事はありませんし、

また、

どちらかと言えば、

分離不安の感情を味わうこと自体が、

自分ってものを、より、明確にしていくでしょうし、

人々の中に紛れて、自分を見失いガチになってしまった時こそ、

分離不安の感情が、自分自身を、思い出させてくれることでしょう・・・・・・!!

多くの人は、

この潜在的恐怖が為に、

分離不安を必要以上に恐れているのです。

たとえ、

分離不安に襲われたとしても、

その感情ってものは、

ただ感じ切ることで、自分自身を通り越して、

流れていくだけでもありますし、

そこには、

実は、なんの意味合いも無いってことも、

実感出来るでしょうから、

その上で、

それを踏まえた上で、

確かに、『自分』っていう存在は、

『いまここに在る』っていう自覚を持つことでもあり、

行動による、選択が大事となるのです。

そして、

その視点で、改めて、

人と接する事自体が、

人にいい影響を与えることともなり、

自分自身にとっても、

心に一つでも響くストーリーを創り上げて行くことともなるでしょうね・・・・(^^)

まとめとして。

いかがでしたか??

『自分』にとっての、

正味の、

ある意味、

勧善懲悪ともなる、正当なるストーリーっていうのは、

分離不安を乗り越えた先に在ることでしょう・・・・・!!

またまた、

自分自身にとっての、

重要度を高める術を、知り尽くして行けば、

たとえ、

勧善懲悪が幻想だと崩れ去った後にでも、

また、

自分にとっての、勧善懲悪を構築出来ることでしょう・・・・!!

またまた、

誰かの語る、勧善懲悪を、

証明する為の根拠も、

自分自身の経験によって、

再構築、再定義することが出来、

その誰かが、間違いだと叫んでも、

自分の正義を、妥協する理由にもならなくなるということです。

まぁ、それすらも、

自分で選択出来、

変化を選ぶか、納得行かなければ、

突っぱねて、正義を主張することも、可能となるということですね・・・・(^^)

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