鏡の法則とは何か??安易に捉えることの罠とは??

よく、対人関係とかで用いられる表現に、

鏡の法則とか、

「人間お互い様。」とか言われるものがありますが、

それっていうのは、

安易に捉えてしまうと、

何の成長も見て取れないものでもありますね・・・・・・(^^;)

まぁ、

実際問題、鏡の法則とか言いますと、

重力の法則とかと同じように、

簡単に、臨場感を、持ってしまいガチにもなり、

それが故に、

「人間お互い様。」な如く、

感じてしまいガチにもなっちゃって、

たとえば、

自分自身の問題にも関わらずに、

人の性にもしやすくもなるでしょうし、

逆に、

人の問題であっても、

自分自身の問題かのように、

こじつけてしまえば、思ってしまえるのが、

また、

我々、人間のサガでもありますよね・・・・・。

まぁ、だけど、

大きな視点で見れば、

鏡の法則とか、

「人間お互い様。」ってこと自体は、

決して間違っている訳でもなく、

むしろ、

我々が、正しい、間違っているとか、

定義しようが、しまいが御構い無しに、

縁起とも言うべき、

大きな鏡の法則ってものは、循環し続けているものでもありますね・・・・・。

それらを踏まえて、

今回は、

鏡の法則とは何か??安易に捉えることの罠とは??

ってテーマについて、アレコレ考察して行きましょう!!

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鏡の法則とは??

「他人は自分の写鏡」

っていう言葉があります。

これは要するに、

どんな人であっても、

自分の現実で接点がある人っていうのは、

自分の過去の『在り方』

もしくは、

未来の『在り方』を体現しているという、

認識を持つことでもあります。

だから、

自分の気に食わない対応をする人や、

受け入れがたい対応をする人が、

もし、

自分の現実に現れたとしても、

「そんな奴は気にくわない。」って、

修正しようと、コントロールしようと、

反射的に動くのでは無く

その相手の対応自体が、

「自分自身の可能性の一つでもある。」

っていう視点を持つ事でもあります。

でも、

それを踏まえて言うのではありますが、

自分の気に食わない対応や、

受け入れがたい対応をする人に出会ったとしても、

それをそのまま、

「他人は自分の写鏡」

って捉えて、

自分も同じ対応を返す事って成長が無いことでしょうし、

また、

同じ反応でもあり、シチュエーションを、

自分自身が望んで繰り返すのであれば、ともかく、

訳もわからずに、

「仕方が無し。」に繰り返すことも、

成長を感じることが、出来ないものでもあることでしょう・・・・・。

ここで、もし、

本当の意味で、

人の鏡となるような、

お手本となるような対応をするとすれば、

同じ対応を返す場合でも、

他人の見習うべき対応を、そのまま返すべきでしょう・・・・・!!

また、

少し、上から視点にはなりますが、

あきらかに、

今の自分と比べてみて、

経験不足と感じる人を相手にする場合には、

同じ対応をあえて、返す事って、

実は、

相手の成長視点を引き出す為には、有効的な手段でもあるのです・・・・・・!!

この、成長視点ってものは、

それこそ、

鏡の法則に、適応された視点ではありますね・・・・・。

要するに、

自分自身か、もしくは、

相手側か、どちらか一方だけであったとしても、

成長視点が存在することで、

その関係性は、

それだけで、有意義な関係性となると言うことです。

またまた、

その、一方的な成長視点ってものは、

大きな流れでもあり、潜在意識ってものが、

目に見えないからこそ、

一方的に見えている側面もあります。

だからこそ、

その視点は、たとえ、

一方的に、与えること、

もしくは、

一方的に、受け取ること自体にも、

意味があると考えることで、

与えること自体が、

また、一方的に、受け取る為の、

自分自身の器を、最適化してくれると言うことなのです・・・・!!

ま、結果的に、そうとしか言えないようなことが、循環すると言うことです・・・(^^)

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意地の張り合いこそ、鏡の法則を安易に捉えた罠でもある。

自分自身が、

普通にされて嫌な対応や、

ムカッとくるような対応って、

そのまま返すと、お互いムキになって、

ちょっとした喧嘩みたいにはなりますよね?

意地の張り合いとも言えますね。

その意地の張り合いになった時に、

あえて、

第3案を提供することが出来るか?

出来ないか?で、

そこに、

成長視点が生まれるか?否か?が関わってきます。

自分にとって、

気に食わない対応や、

受け入れがたい対応をする人っていうのは、

基本的には、

その対応は、

その本人にとっては、

普通の対応のつもりでもあるって言うのが、

ムキになって、ちょっとした喧嘩みたいになる理由でもありますね・・・・・。

まぁ、

時には、ムキになって、

喧嘩になってでも、主張すべき場面もあることでしょうが、

何回も、同じシチュエーションを、

別に、望んでもいないのに、繰り返すのには、

上記にあげた、成長視点ってものの、

欠如が見られると言うことです・・・・・。

その、無用な繰り返しを回避する為にも、

要するに、

こちらの『心理』ってものを、

相手に伝える必要性が、出てくることでしょう・・・・・。

この『心理』っていうものは、

適切に伝える為には、

結構、

厄介なものでもありますし、

それなりの手順を、構築する必要もあります

相手が、人格者であれば、

そういう『心理』を、

敏感に読み取るセンサーが、

普通に、何とは無しに、働くものではあることでしょうが、

それを、

当たり前のように、人に求めるのは、

結構、

酷なものでもありますし、

また、

何かと、自分自身が出来うることの、

範囲ってものを、狭めてしまうことでしょうね・・・・・(^^;)

そのような事柄に、

時間を費やしたり、期待し続けて、

待ちに徹するよりは、

どちらかと言えば、

自分の『心理』を、適切に伝えるスキルを磨いていくことで、

自分磨きとする方が、

何かと、時間を有意義に使えて、

持て余したり、運任せの要素が少なくて、

良いでしょうと言うことです。

大きな枠組みで見て、同じ反応を、相手に返すといふこと。

自分という、『フィルター』を通した、

大きな枠組みで見た、同じ対応を、

相手に返すという手段って、

実は、

成長視点を引き出す為には、有効的な手段でもあります。

もっと言うと、

大きな枠組みで見れば、

同じなのかもしれませんが、

それを構築する為の、細部の部分にも当たる、

小さなことや、細かいことは、

自分の裁量で行うってことでもありますし、

またまた、

はっきり言って、

小さな事柄や、細かい事柄は、

テキトーでもいけるように、

大きな枠組みに拘る、もしくは、

小さな事柄や、細かい事柄からは、

意識的に、フォーカスを外すってことでもあるのです・・・・・!!

ただし、

この対応にも、注意が必要な部分が存在しており、

それは、

相手を、自我が在る、感情が在る、

血の通った一人の人間で在るという前提で、

対応すると言うことでもあります。

要するに、

大きな枠組みに拘るってことは、

ロボットのような対応や、獣のような対応

すなわち、

大味な対応に、陥りやすい特徴も、

無きにしも非ずでもありますから、

その先に存在する、人間的な反応まで、

考慮する必要もあると言うことです。

これを要約すると、

自分の感情を、対応に込める事とも言えますし、

自分の感情は、小さく、細かく表現するとも、

言えることでしょう・・・・・!!

「他人は自分の写鏡」

っていうのは、

ある意味、

この前提が在ってこそ、

有効的に成り立つものでもあるのです。

自分自身の『在り方』でもあり、

心理ってものを、

大きな枠組みで見て、

同じ対応をする事によって、相手に伝えるとも言えますし、

また、

大きな枠組みで見て、

同じ対応と、一括りにすることで、

お互い、

細かい部分は、妥協しあう視点を、共有するとも言えます。

それによって、

お互いの中に、

それぞれの感情が共有されることで、

そのまま、妥協案が、出来上がることもありますし、

またまた、

お互い、譲り合うことが、出来ない部分がある場合は、

その感情を味わい尽くす事で、

第三案とも言うべき、解決案が生まれると言うことです。

このプロセスを経る事って、

お互いにとって、人としての成長が在ることでしょうが、

その場だけを見れば、

どちらか片一方だけに、

成長視点が生まれることも、ありうることでしょう・・・・・!!

だからこそ言うのではありますが、

それが故に、

このプロセスを経る事によって、

自分との縁が疎遠になる人も出てくることでしょうし、

上記の視点から見れば、

それは、すごく残念なことにも感じてしまうでしょうが、

そのプロセスを経て、

自分自身の成長を、

求め続ける意思表明を、行動によって示した事実は、

決して無駄にはなり得ないことでしょう!!

要するに、

逆に、

今まで、

縁が無かった人とか、

それ以外の人の中に、

その成長視点を、求める人が、現れてくると言うことです。

要するに、

「他人は自分の写鏡」って法則を、

安易に捉えないことによって、

逆に、大きな流れの循環で、

鏡の法則が、働くことともなり、

成長視点を踏まえた上での、『自分』ってものを中心とした、

人間関係でもあり、

縁を創造していくこととなると言うことですね・・・・(^^)

まとめとして。

いかがでしたか??

自分自身の『在り方』っていうのは、

そのシチュエーションと、

対応する相手に反応した、

自分の『心理』でもあり、湧き起る感情によって決まっていることでしょう・・・・・。

要するに、

ステージの高い『在り方』や、

人格者の『在り方』っていうのは、

正解を導くのが、

上手い『在り方』でもあり、

その『在り方』に、

人を巻き込むのも、

上手い『在り方』でもありますが、

その細かい細部の部分や、

小さな部分って言うのは、

あくまでも、

テキトーにも見えるような、

無意識の状態であるとも言えることでしょう・・・・!!

まぁ、

大きな枠組みに拘るからこそ、

小さなことは、テキトーに見えるような、

無意識な状態で、出来てしまうのでしょうが・・・・・。

またまた、

言葉っていうのは、

抽象度が低い存在でもありますから、

言語化することによって、

何かしらの、ラベリングがされてしまい、

それによって、情報が絞られる側面もあるでしょうが、

逆に、

そのラベリングによって、

余計な情報まで、混ざり込んでしまうものでしょう。

だからこそ、

本当の意味で、大事にしていることって言うのは、

言葉だけよりも、

態度でもあり、

行動を通したメッセージでもあり、

そこに込められた感情の方が、

適切に、循環するものでしょうし、

人に影響を与えるのは、勿論のことでしょうし、

何よりも、自分自身に、影響を与えるものでもあるのです。

人を自分の可能性の一つとして観て、

自我が在る、感情が在る、

血の通った一人の人間で在るという前提で、

対応していくことで、

なぁなぁの腐れ縁からでさえも、

成長視点を、引き出すことも、可能だと言うことですね・・・・(^^)

まぁ、自分自身で望んで、

なぁなぁの関係性を保っている場合も、

多々あるでしょうから、

自覚を持ちましょうってことですね・・・・・(笑)。

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