引きこもりの原因とは??大人として、枠を幻想としよう!!

最近は、

ウェブ上で完結してしまうような、ビジネスや、

また、

スマフォもそうでしょうし、

PC一つあれば、

家での生活も、快適になると同時に、

それが、趣味にも繋がってしまうことにもより、

引きこもりガチな人って言うのもまた、

増えていることでしょう・・・・・。

またまた、

引きこもりって聞くと、

以前は、不登校とか、

学校でのイジメとか、職場に馴染めないような、

所謂、

犯罪者とまでは行かないでも、

社会不適合者のレッテルを、貼られたもんでもありますよね〜・・・・・(^^;)

だけど、

ただでさえ、テレビゲームや、

SNSや、ネットビジネスってものが、

流行ってきたことにより、

別に、引きこもっていても、

以前ほど、ダークなイメージが無くなってきているでしょうし、

また、

ネットだと、逆に、

あえて、引きこもりガチだと、

カミングアウトする方が、

逆に、スッキリして、

変に、格好つけないで、交流できたりもしますよね〜。

まぁ、僕自身も、

基本的には、インドアな、引きこもりガチな部類の人間には、

当てはまってくるのですが、

その、引きこもりの在り方ってものにさえ、

流儀と言うか、

メンタルブロックを、不要に作り出してしまわないような、

スタイルってものが、存在することでしょう・・・・!!

要するに、

引きこもりガチだと言っても、

人との交流は、必要になるだろうし、

それでこそ、

自分自身ってものを、

明確にして、自分自身の、向かいたい方向性に、

突き進むって言うような、

前向きな引きこもりともなれることでしょう・・・・!!

それらを踏まえて、

今回は、

引きこもりの原因とは??大人として、枠を幻想としよう!!

ってテーマに沿って、

アレコレ考察して行きましょう!!

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そもそもとして、引きこもりの何が問題なの??

そもそもとして、

引きこもりの何が問題なの??っていうことではありますね・・・・・。

はっきり言って、

引きこもりガチであろうが、

なかろうが、

フレンドリーな人って言うのは、

存在するでしょうし、

自分自身の、気質の一部であると言う理解が、

まず、

必要になってくるでしょう・・・・!!

また、

人との交流ってものが、

完全にシャットアウトされた環境だと、

誰しもが、

自分ってものの定義が、曖昧になりがちです。

だからこそ、

たとえ、ネットを使ってでも、

人との接点ってものは、

持ち続けることが、必要となることでしょうし、

また、

テレビでも、ゲームでも、漫画でも、

なんでもいいのでしょうが、

コンテンツってものに触れて、

そこからでも、その作り手の意図とか、

自分自身の感覚を知ることにより、

コミュニティってものを、意識し続けることも、大事になることでしょう・・・・・!!

ここで注意が必要なのは、

基本的に、

引きこもりガチな人って言うのは、

上記で言えば、

自分自身の感覚とか、想いだけを、

自分だと思い込んでいる状態であると言うことですね・・・・・。

自分ってものを、明確にすると言うこととは??

自分ってものは、

誰しもが、フワフワした側面と、具体的な側面を、

併せ持ったものでしょうし、

環境や、相対する人や、

自分自身のスタンスによって、

コロコロ変化する場合もありますし、

それが故に、

明確にしづらいものだという認識も、

必要となってくるでしょう・・・・・!!

要するに、

そのような、

ある意味、

スピリチュアル性も、存在するようなものを、

明確にする為には、

上記にあげた、どれか一つを、

徹底出来る人は、徹底すればいいのでしょうが、

それよりも、

全てを、少しづつ、アプローチして言って、

その循環の中で、明確にしていくスタンスの方が、

望ましいものでもありますね。

何故ならば、

ここで問題となるのは、

自己矛盾ってものの、存在でもあることでしょう。

自己矛盾が起こると、

論理や、一貫性ってものは、破綻してしまいます

だからこそ、

大きな意味での自分ってものには、

キチンと筋を通す必要性があるってことですし、

逆に言えば、

小さな意味での自分ってものは、

別に、破綻してようが、

論理や、一貫性が存在してなかろうが、

別に、構わないってことでもあるのです・・・・・!!

もっと言えば、

小さな意味での自分ってものは、

はっきり言って、

直感とか、感情の赴くままとか、

反射的な、自我の自動反応的自分でもあります。

そのようなものは、

完全に、コントロール出来るものでは無いことでしょうし、

また、

コントロール=制御すること自体が、

小さな我慢の積み重ねとなって、

ストレス負荷が、高まっていくことにも繋がり、

メンタル的に、病んでくる原因ともなります。

だからこそ、

そこは、あくまでも、

小さくするっていう、コントロール=制御が、

必要となりますが、

決して、無にするとか、

表面上から消し去る努力ってものは、

必要ありません

反射的な反応を、小さく小出しにしながら、

大きな自分ってものを、構築していくイメージでしょうか。

もしくは、

小さく失敗し続けながら、

ひとまとまりのゲシュタルトを、

確実に作り出していくイメージでもありますね・・・・・。

要するに、

そのように、

行動を重ねながら、その結果を踏まえて、

未来の方向性も含ませた上で、

自分ってものを、明確にしていくってことでもあるのです・・・・・!!

まぁ、

結果とは言いましたが、

何も、成功だけをさして、

結果って言うのでもありません

結果=行動によって構築した、ゲシュタルト(全体性)ってイメージでもあるのですから・・・・!!

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思考の抽象度を高める為の、ゲシュタルト構築。

思考の抽象度が高まるっていうのは、

大きなゲシュタルトであり、

全体性であり、

概念を理解するってことでもあります。

要するに、

視点が広くなるとも言えますね。

だけど、

この為には、

全体性の把握であり、

世界を知る事でもあり、

世の中の、

人間関係や、お金の流れ等の、

価値の循環ってものや、エネルギーの循環ってものにも、

『フォーカス』を向ける必要性もあります。

でも、

自分のコンフォートゾーン内でしか、

行動や、人付き合いをしてこなかった人にとっては、

この大きな概念を体感する事って難しい事なんです。

要するに、

今現在の、

自分の捉え方による世界っていうのは、

自分自身が認識出来ている範囲でしかないって知識を持っていた方がいいです。

上記のことは、一見、

当たり前のようにも見えますが、

要は、世界の多様性を、全て受け入れれるほど、

自分自身は、大きく無いってことでもありますし、

それを、本当の意味で、

出来るのは、神くらいなもんでしょう・・・・・・(^^;)

その事実が、

逆に、ハッタリや、見栄によって、

受け入れるフリをしたところで、

大きな意味での自分ってものが、

破綻してくる、もしくは、無くなってくるってことを、

表していることでしょう・・・・・。

未経験な分野に挑戦することの意義とは??

今まで、

経験したことが無いような、

全く別の分野に入って、

その分野を体験する事っていうのは、

非常に価値があります

でも、

全く経験したことが無いような分野っていうのは、

普通に考えると、

自分とは縁も所縁も無いとも言えますよね??

また、

そのような分野っていうのは、

あまり体験しようとは思えないはずですし、

そもそもとして、

無意識な領域で、選択肢から、

除外されているのが、普通でもありますし、

もしくは、

挑戦したところで、あまり、

長続きしないような流れともなるのが、

普通でもあります。

まぁ、

ホメオスタシスの効能とも言えますね。

が、

自分のコンフォートゾーンであり、

自分の趣向に関連する=横の繋がりを感じれる分野っていうのは、

自分自身のコンフォートゾーンから外に出るチャンスを感じるものでもあります。

この、

『横の繋がりを感じれる』

って事が大事なのです。

だからこそ、

そういう分野に挑戦する事は、

今までの、

自分のコンフォートゾーンと関連を生み易いってことでもありますし、

新しい挑戦をするにしても、

ある一定の期間でもあり、時間をかけないことには、

あまり、その挑戦ってものは、

勿論、新たな切り口を、

手に入れる為には、役には立っても、

深い理解を得れることには、繋がって行かないだろうし、

そもそもとして、

その為の、モチベーション(やりがい)を、

抽出しづらいって側面も、

無きにしも非ずだと言うことですね・・・・・!!

また、

この、横の繋がりを感じれる関連は、

あくまでも、自然な形でもあります。

要するに、

無理やり頭でっかちになって、

今までの、

自分のコンフォートゾーンと関連させる必要性はありませんし、

自分自身の専門分野の、理解が深ければ深いほど、

無理やり頭でっかちになって、繋げてしまった関連性には、

後々、違和感が生じる元にもなるとも言えます。

あくまでも、

行動した上で、行動した後で、

自然と関連を生むものが、

大事になると言うことです。

そういう分野は、

今までの経験を活かしつつ、

新たな学びをもたらしてくれるものでもあります。

「また1からやり直しか。」

じゃあ無いんですね。

今までの経験は、

ゲシュタルトの繋がりやすさっていう形で、

自分自身のアドバンテージとなるんです。

但し、注意が必要となるのは、

実践でもあり、行動した上での繋がりと、

前情報の段階での繋がりには、

差が存在するでしょうし、

その差自体は、決して、無くなることは無いでしょうが、

少なくとも、

自分自身で、軌道修正しやすいように、

差を小さく、コントロールすること自体は、

可能になるだろうし、

そのスキルは、磨き続ける必要性もあるってことでしょうね・・・・・。

コンフォートゾーンからはみ出ることで、自己成長出来る。

何故、自分自身の、

安全領域でもある、

「コンフォートゾーンの外に出る必要があるのか?」

っていうと、

『自己成長』の為でもあります。

『自己成長』停滞しているような、

人間関係や、

組織っていうのは、

空気や、エネルギーの循環が、淀んでいるものです。

まぁ、ある意味、

身内ネタばかりの、人間関係や、組織ってものを、

差し現すものでしょう・・・・・!!

ま、僕自身、

外から見て、意味が解らないような、

また、

決して、理解したところで、

太鼓持ちのようにしかなれないような、

所謂、

「身内ネタ」ってものが、嫌いでもありますから、

尚更、上記のように想う側面も、

無きにしも非ずですね・・・・・!!

また、

自分自身のことを、俯瞰した視点でみることが出来ないからこそ、

そのような、

身内ネタを、恥ずかしげもなく、

声を大にして、撒き散らしているとも言えます。

要するに、

人からの視点で、客観性でもあり、

俯瞰性と言ったような、

理解する為に、必要不可欠なものを、

抽出する為には、

自分自身でも、何処か、

客観性の視点でもあり、俯瞰性の視点を持ち合わせながらも、

自分自身の主観を、表現出来る必要もあるってことです。

ある意味、

それでこそ、

所謂、身内ネタってものにも、

普遍的な、凄みでもあり、価値感ってものが、

出来上がってくるってものなのです。

そのような、

上記の在り方を身につける為にも、

今までの、

自分のコンフォートゾーンの外であり、

横の世界を体験する事で、

確実に、

自分自身の認識出来ている世界、

自分自身の認識出来ている概念を、広くしていく必要もあるってことです。

これによって、

世界が広くなり、

要するに、

自分の選択肢が広くなることでしょう・・・・・!!

答えを言ってしまえば、

「自分の趣向に沿って人に価値を提供する」

っていうのが、

いい価値の循環を起こしていく『在り方』ではあります。

が、

自分自身の認識出来る世界が狭ければ、

もしかしたら、

自分自身の世界の中に、

その為のノウハウであり、

選択肢が存在していない可能性だって、多々あることでしょう・・・・・。

だからといって、

全く、縁も所縁も感じない世界に飛び込む事って、

よっぽど、現実的に追い込まれていないと出来ないですし、

そういう世界には、

飛び込んでみたところで、

自分の居場所も感じないものかもしれません・・・・・・(^^;)

その為にも、

自分のコンフォートゾーン自体や、

自分の趣向と繋がりを感じれる分野が、助けとなるってことなのです。

要するに、

コンフォートゾーンからはみ出すとは言っても、

コンフォートゾーンを捨てろとは、誰も言っていません

上記のような、

自分自身と、親和性が高い分野は、

自分の居場所を創り易いものでもありますし、

また、

自分自身の、コンフォートゾーンにも、

取り込んでいくことが、

可能になることでしょう・・・・・!!

だから、その為にも、

普段から、

『自分の軸』でもあり、自分の専門性に繋がるものには、

アンテナを立てて、敏感で在る必要もあるってことです。

この敏感っていうのは、

感じ取るだけじゃあ無くて、

きちんと、

レスポンスでもあり、アウトプットでもあり、

何かしら、

行動に変換して、表現する習慣を持つ事でもありますね。

また、

この繋がりってものは、

決して、理解出来たことだけを、

アウトプットするだけじゃあ無く、

解らないことを、アウトプットしてみることも、

重要となると言うことなのです・・・・・!!

何故ならば、

解らないってこと自体が、

人任せな、無責任な在り方を創造する、原因ともなりますから、

解らないことを、形にすることが、

人任せな、無責任な在り方から、

「自分自身で、どうにかしてみよう。」

っていう風な、

自己責任な在り方を、創造してくれるものでもあるので、

結果的に、

当事者としての、情報を集めるには、役に立つとも言うことですね・・・・・(^^)

まぁ、

理解出来ていることの、

理解を深める為には、

何処か、自分自身も理解出来ていない領域も含めて、

アウトプット=表現する必要性もあるってことでしょうが・・・・・。

まとめとして。

いかがでしたか??

引きこもりとは言いましても、

広い意味で言えば、

活動的な人達であったとしても、

コアな部分ってものは、

引きこもりな性質を、持ち合わせているでしょうし、

それでこそ、

適切な距離感で、人と接することが出来るってことでもあります。

自我がまだ、出来上がっていないような、

小さな子供なら、

オープン過ぎてもいいことでしょうが、

大人として、コミュニティの、

社会性を考えみると、

ある程度の、引きこもり気質は、

誰しもが、持ち合わせておくべきでしょう・・・・・・(^^;)

また、

枠を幻想としようとは言っても、

全く、縁も所縁も感じない所には、

勿論、

枠であり、壁は存在しています

横の繋がりを感じ取れて、

その分野を体験する事で、初めて、

自覚的に枠や、壁を破壊出来るって認識ですね。

前情報の段階では、

繋がりを感じること=枠や壁の破壊とも、

見えないことも無いことでしょうが・・・・(苦笑)、

当たり前ですが、

その分野を、実際に体験して見ないと、

当たり前に、

枠や壁は存在しますから・・・・・(^^;)

要するに、

経験則的知識として、

行動や、表現の積み重ねによって、

枠や壁は、幻想と出来るってことでもあるのでしょうね・・・・・(^^)

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