キャラクターデザインを、ビジネスに活かすコツとは??

キャラクターデザインって言うと、

普通に漫画や、イラストレーターで絵を描く際の、

キャラクターデザインを、イメージしそうではありますが、

実際の、人物像ってものにも、

それぞれの、持ち合わせた、キャラクターってものが、

存在することでしょう・・・・・・。

まぁ、

そのキャラクターってものは、

所謂、セルフイメージって呼ばれるものかもしれませんが、

ビジネスや、仕事の場でも、

キャラクター=セルフイメージってものは、

何かと役に立つ反面もありつつも、

キャラクターによって、

役割が、制限される側面も、無きにしもあらずではありますね・・・・・。

だけど、

所謂、自分自身のキャラってものは、

勿論、

持って生まれた性質や、育った環境による性質もある反面、

学校や、会社等の、コミュニティって呼ばれるものの中で、

仲良くなった人達によって、

自然と決めつけられた側面も、

勿論、多々あることでしょう・・・・・!!

でも、こと、

ビジネスのような、価値提供が、

必要不可欠となるような場では、

そのような、自然と決めつけられたキャラクターだけでは、

価値の循環が淀むことともなり、

自分自身が、あらかじめ、想定していた価値提供さえも、

まともに、出来ずじまいで終わることも、

多々あることでしょう・・・・・。

もっと言えば、

仕組みや、役割と言ったような、

所謂、自分自身の、専門性を持った実務をまず、

反映しないで、

いきなり、何処かの誰かが、

あまり、権威性も無いような、根拠によって、決定したような、

所謂、キャラってものを、

先取りしたり、先入観として、

持たれてしまえば、

せっかくの、専門性も、伝わるものも伝わらないってことが、

起こりうるだろうし、

はっきり言って、

ビジネスの場では、

実務を活かす為以外の、キャラ付けってものは、

邪魔以外の、何者でもありません!!

また、所謂、

キャラが立つって状態は、

何かしらの、信念を、

保持している状態でもあると、定義可能なものでもあります。

勿論、

漫画や、ドラマや、映画等では、

主人公や、主だった人物ってものは、

キャラが立っている方が、面白いものでもありますが、

こと、

実際の人物として、

漫画や、ドラマや、映画等のように、

キャラが立つってことは、

ある意味、

キワモノ感も、出てくるものでもありますね・・・・・・。

勿論、

そのキワモノ感が、自分自身の、専門性に沿った、

実務を踏まえているものであれば、

そのキワモノ感が、

逆に、

解る奴には、解ると言ったような、

唯一無二的な、特別感ともなることでしょうが、

常識的に見て、

キワモノ感ってものは、

マイナスの要素でもあり、また、

所謂、

変な奴でもあり、ちょっとおかしな奴ってレッテルを、

貼られてしまうのもまた、

仕方が無い部分も、ありますね・・・・・(^^;)

それらのことを踏まえて、

今回は、

キャラクターデザインを、ビジネスに活かすコツとは??

ってテーマに沿って、アレコレ考察して行きましょう!!

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自分自身の役割を把握する。

人っていうのは、

家族構成っていう役割があり、

友達関係でのキャラっていう役割があり、

仕事関係でも肩書きっていう役割があります。

例えば、

僕の場合ですと、

4人兄弟の末っ子っていう役割が、

自然と与えられていました。

だから、

周りの兄弟っていうのは、

先輩でもあり、友達っていう感覚で育ってきましたね。

歳の離れた、

一番上の兄は、

この先輩っていう感覚が、

昔は特に強かったって思います。

在る意味、

この自然と与えられた役割っていうのは、

人が生まれ育った環境で自然と得る事の出来た役割とも言えます。

だけど、

その役割自体が、

自分が高みを目指す為に、

足枷となってしまうのなら、

別の役割の服を着る必要性があります

多くの人は、

家族構成での役割や、

友達関係でのキャラ、

仕事関係での肩書き自体を、

『自分自身』そのものだと思い込んでいることでしょう・・・・・。

人っていうのは、

もっと、

柔軟性があり、

自分自身が思っているよりももっと、

環境に左右される存在なのです。

もっと言えば、

環境によって、役割によって、

普通に言われる、

キャラクターってものは、

簡単に崩壊するだろうし、

環境によって、役割によって、

保持されるキャラクターってものも、

存在するだろうし、

そのような、

普遍的にも、反映可能な、

素朴な、

自分自身の、素のキャラクターでもあり、

「在りたい自分。」と言ったような、

常に、追求し続けていく、専門性を持ってこそ、

信念ともなり、

際立ったキャラクター=人物像が、出来上がるものでもあります。

その為にも、

その役割に応じて、服を着替えるが如く、

キャラクターにも、普遍性を持つこと自体が、

キャラクターを立たせる為には、必要となることでしょう・・・・・・!!

まぁ、

その服を着替えることによって、

根源的な価値観が、コロコロと真逆になる人は、

信用に値しないだろうし(苦笑)、

まともに受け入れては、

本人の成長の為にもならないでしょうから(上から目線)、

距離を置くと同時に、

自分自身も、そうならないように、

気を付けましょうってことですね・・・・・・(^^;)

キャラクターを、棚卸ししてみる。

今までの人生での、

自分自身のキャラクターってものを、

まず、

自分自身で、棚卸しして、把握してみることって大切です。

勿論、

コミュニティ等で、人から決められガチになるのが、

キャラクターではあることでしょう・・・・・。

が、

主体性を持った、役割ってものの、

主導権は、自分自身に置いて置くことが、

何よりも、肝要ともなります。

要するに、

役割と同時に、キャラクターってものも、

勿論、

最初のリサーチの段階では、

人に聞いてみるのも、いいでしょうが、

結果的には、

自分自身で、抽象度を高く、普遍性を持たせて、

把握することが、大事になることでしょう・・・・・!!

まぁ、

役割ってもの自体は、

逆に、具体的に、絞った方がよろしいでしょうが、

キャラクターってものは、

別に、抽象度が高くても、構わないってことでしょうね・・・・・。

上記とは真逆に、

役割ってもの自体が、

抽象度が高くなることって言うのは、

勿論、

人生の目標とか、ゴールってものの設定自体は、

抽象度が高けりゃ、高いほど、よろしいことでしょうが、

その場その場での、

役割ってもの自体には、

そこまで、抽象度の高さってものは、

必要無くて、もっと言えば、

具体性でもあり、小手先の部分でもあり、

枠組みってものが、重要となることでしょう・・・・・!!

役割自体の、抽象度が高いってことは、

何でもかんでも、上から目線になることをも、

さし表しているでしょうから、

格上の人達にとっては、

めんど臭いヤツに、見えがちでしょうし、

また、

だから故に、せっかくのスキルや、専門性ってものも、

まともに、評価され難いって難点も、

存在することでしょう・・・・・(^^;)

まぁ、

役割自体が、小さなものだとしても、

役割=自分自身じゃあ無くて、

自分自身=役割+キャラクターって意識を、

持ち合わせていると、

何かと、自己卑下して、エフィカシー(自己効力感)を、

失うことを、回避したり、軽減することも、

可能になるってことですね・・・・・・!!

その為にも、

自分自身が気に入っているキャラクターや、

人に価値を与える事の出来るキャラクターっていうのは、

そのまま着続けて行けばいい服って言えますね。

でも、

後で、自己嫌悪に陥るような、

自分自身を押し殺して、人に奉仕するようなキャラクターや、

逆に、

自分の事しか考えないで、人を黙殺するようなキャラクターの服は、

脱ぎ捨てていく必要性もあります

もっと言えば、

自分自身の、自我にとって、

苦痛ではないキャラクターを、

採用していく必要性があるってことです。

キャラクターでは、

上記のような形ではありますが、

ビジネスや、仕事での役割っていうものを踏まえていくと、

そこには、『深み』ってものが、自然と出来上がっていくことでしょう・・・・・!!

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いい価値の循環のさせ方を、求めよう!!

ビジネスや仕事等の、作業的には、

効率性を求める事って言うのは、

手先の器用さの如く、作業工程を、細かく細分化して、

スピードと正確さを追求していくことに、

当てはまってくることでしょう・・・・。

が、

精神的に、効率性を求める事っていうのは、

面白みや、やり甲斐を見出して、

モチベーションを抽出することに、

当てはまってきます。

上記の2通りの、効率性を求めることを、

一言で言い表してみると、

いい価値の循環のさせ方を求めるって事でしょう。

その為には、

役割によっては、

人の意見を黙殺するような、

厳しさも大事になります。

在る意味、

想定外なシチュエーションや、

クレームやミスの後のリカバリーの場面では、

誰しもが手探りな心理状態にあります。

そういう時に、

自分の役割を発揮して、

周りの人の為にもなる事っていうのは、

解かりやすい指標として、

実践による結果=指向性を、見せて見ることこそが、

浮き足立たせない方法論でもあります。

混乱した人や、

手探り状態の人が、

数多く集まったコミュニティっていうのは、

思いもしなかった方向に、

着地点が定まったりもするものでしょうし、

自分自身も、やはり、その影響下に晒されることでしょう・・・・・!!

その事実は、

単に、自分自身が、

浮足立つこと自体が、マイナスなのでは無く

そのマイナスよりもさらに、

自分自身が、出来うる役割を、傍観した事実ってこと自体が、

悪影響でもあり、悪循環を、及ぼすものでもあるのです・・・・・!!

その当事者では無く、

傍観者に過ぎなかったら、

いくらでも、

後付けで、もっともらしい事は言えるでしょう。

が、

そんなものには、意味自体は無いことでしょうが、

愚痴の言い合いとしては、

ストレス吐き出しの価値とはなることでしょうね・・・・・(苦笑)。

要するに、

その当事者でありながら、

いち早く、

「いい価値の循環のゲシュタルトを創り上げ、行動によって人を巻き込んでいけるか?」

って事が、

どんな時にでも、役に立つ方法論ではあります。

その時に出来上がったゲシュタルトっていうのは、

下手したら、

全体像って言えるものじゃあ無いのかもしれませんし、

小さなゲシュタルトで構わないですが、

確実に、行動を持って、構築する必要性があるってことです・・・・!!

また、

ある意味、それは、

小さな付加価値とか、小さな機能的価値って呼べるものかもしれませんし、

そう呼べれるまでは、

行動を持って、構築する必要性もあるのです・・・・・!!

上記のことを、言い換えると、

自分自身の『直観』では、

全体像が見えているんだけど、

その場では、

人に事細かく、説明出来るレベルでは無いって、

後々振り返れば、言えるレベルかもしれません。

もっと言えば、

後々、振り返って、そう言える為に、

必要となってくる行動ってものは、

直感的に見えるし、

思いつきで、動いているように見えて、

経験則を踏まえていると言ったような、

直観と定義出来るものとも、なりうることでしょう・・・・・!!

また、それでこそ、

マグレと言わせないで、

結果的に、筋の通った論理として、

言語化出来ることにも繋がり、

正当な、権威付けが、為されるものでもあります。

またまた、

日本の、多くの人々は、

事なかれ主義を、好む傾向があるが故に、

正当な、権威付け自体も、避けてしまう傾向があります

正当なる権威付けが必要な場面で、

その権威付けを、怠るって言うのは、

自分自身は、勿論のことでもありますし、

その関わる人達にとっても、

何一つ、

教訓とか、得れるものが無くなる危険性も、出てくるものでもあるのです・・・・・!!

それを回避する為にも、

キチンと、

権威付けする時は、権威付けするってこと自体が、

ビジネスの場では、特に、重要な要素ともなりうることでしょう・・・・!!

その為にも、

有無を言わさずに、不言実行する服ってものも、

いい価値の循環のゲシュタルトを、構築していく為には、必要ともなるのです。

まぁ、

その服を着て、こなす役割ってものには、

枠組みってものを、

キチンと定義していく必要性もあるのですが・・・・・・・。

何故ならば、

枠組みが無いってこと自体は、

大き過ぎることを意味すると同時に、

自分自身の、責任の範囲を、むやみに広げてしまうことにも、

当たってきますから、

結果的に、

大きな失敗に、着地しやすい側面も、無きにしも非ずでもあるからなのです。

要するに、

その服を着て、

騙す訳じゃあ無いけど、

言葉よりも、行動で示すことにより、

見据える指標を、共有することが、大事になるってことです・・・・・!!

もしかしたら、

その場面での、

自分自身の役割っていうのは、

もう既に、流れはじめた、

人の行動の、

価値の循環が澱まないように、

監視して、ケツを叩く役割かもしれませんし、

自分が見えた、小さなゲシュタルトを、

行動を持って、表現するチャンスを、

虎視眈々と狙いすましている役割なのかもしれませんね・・・・・。

役割の服を、デザインする。

上記のような、不言実行が必要な時っていうのは、

今まで着てきた、

役職や、肩書きの服っていうのは、

あまり、意味を為さないことでしょう・・・・・。

社長の役割や、専門家の役割等の、

顔の利く服だと、

それは強みになるでしょうが。

こういった、

在る意味、

修羅場でもあり、混乱が起こりやすい場面で、

逆に、

不言実行によって、

価値の循環が起るように、

デザインし直す事が出来るようになると、

自分の役割っていうものが、

服にしか過ぎないって事が、実感として解ると同時に、

自分自身の経験則を持って、

デザイン出来うることも、実感出来ることでしょう・・・・・!!

要するに、

いい価値の循環のゲシュタルトに沿って、

確固たる実行力を持った服を着るってことでもあります。

勿論、

自分自身が、場の中心にいない時は、

調整役の服を着るのです。

自分が中心にいるか?いないか?って事よりも、

事が上手くいくか?いかないか?って事の方が、

大事な事ではありますが、

そのってもの自体には、

枠組みを定義しておかないことには、

何処までも、広がっていく可能性がありますし、

結果的には、

大きな失敗にも、繋がる可能性が増すってことなのです。

コミュニティ自体でもあり、

ビジネスの場で、

花形でもある、中心の仕事に関わることに、固執するよりも、

自分自身の、専門性のゲシュタルトが、再現される事の方が、

結果的には、

自分自身も満たされると同時に、

コミュニティでもあり、ビジネス全体の為にも、

貢献出来うるものでもあります。

「欲しいものは、まず与えよ」

っていう名言がありますが、

要するに、

人に見返りを求めないで、

与えれたものは、

必ず自分も得る事になります

だからこそ、

感謝の気持ちが大事だといいますね。

感謝の気持ちが、

見返りを求めない心構えを生みだしますし、

それで出来上がった役割ってものは、

もう、すでに、

自分自身の、専門性でもあり、

キャラクターで言うところの、

信念ともなりうることでしょう・・・・・!!

もちろん、

自分の想定以上のものが現れた時には、

そっちに従う=中心を譲って、

調整役に回る服を着直すのです。

今現在の、

自分自身の役割の事を、

服に過ぎないって認識する事で、

その柔軟さは、生まれるし、

また、たとえ、

調整役に回ったとしても、

信念まで変えてしまう必要性は、何処にもありませんし、

それは、

自分自身の顧客を、裏切る行為にも、当たってくることでしょう・・・・・。

まぁ、逆に言えば、

たとえ、調整役の、役割に回ったとしても、

信念を貫く為の、努力でもあり、

役割とキャラクターのマッチングが、

必要とはなるってことではありますが・・・・・(^^)

まとめとして。

いかがでしたか??

自分自身の役割の事を、

服に過ぎないって認識する事で、

たとえ、小さな役割に過ぎなかったとしても、

役割に徹する事が、可能になります。

それには、

「自分は何ものでもない」って事を、

知る必要がありますが、

逆に、

自分自身の経験則は、キャラクターとして、

活きるって事実も、知ることとも、

なりうるでしょう・・・・・!!

要するに、

同じような役割の中からでも、

顧客から選ばれるような、

特別な存在になりたければ、

何の変哲も無いような役割からでも、

特別な服を用意して、

着こなし続ける事が、大事になるってことでしょうね・・・・(^^)

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